西片擔雪
[Wikipedia|▼Menu]

西片 擔雪
1922年 - 2006年
生地新潟県長岡市
没地京都市
宗派臨済宗
寺院妙心寺、圓福寺、海清寺
春見文勝
弟子加藤月叟
著作『碧巌録提唱』、『無門関提唱』
テンプレートを表示

西片 擔雪(にしかたたんせつ、大正11年(1922年[1] - 平成18年(2006年11月29日[2])は、日本。道号は擔雪、法諱は義保。室号は究竟窟。俗姓西片。臨済宗妙心寺派第31代管長。世寿八十五。
経歴

新潟県生まれ[1]京都市出町柳に住んでいた同郷の西枝一江(後に弟子となる稲盛和夫京セラ創業時の支援者の一人[3])の書生となり、立命館大学に進学するも肺病に罹患し、病床に就く[1]昭和17年(1942年)に八幡市の円福寺で坐禅修行に励み、出家する[1]。昭和30年(1955年)に熊本県見性寺に入寺、荒廃していた寺の再建に尽くし、伽藍の復興を成し遂げる[1]。昭和46年(1971年)には円福寺の師家となり、平成の「経営の神様」「経営者のカリスマ」とも呼ばれる経営者 稲盛和夫など、二百人近い会下(弟子)を持つ[4]。こうした実績から「日本一の覚者」と呼ばれるようになる。

平成10年(1998年)に西宮市の海清寺の師家に就任[1]。その時の提唱(講義)内容が著書となっている[1]。平成14年(2002年)第31代臨済宗妙心寺派管長に就任[1]。平成18年(2006年)遷化
法嗣弟子

加藤月叟
(生没 1952-2020)円福僧堂師家、海清僧堂師家

弟子

西片には200人近い弟子がいるが、主な弟子としては、経済界に1997年に得度した京セラ創業者・名誉会長の稲盛和夫[5]や、教育界に1994年に得度したいのちを守る親の会理事長の大熊良樹[4]らがいる。
著書

『人生は春人ハ花――究竟老師折々のことば』
1997年

『禅のこころ大和のこころ』2003年

『無門関提唱』2006年

『碧巌録提唱』2009年

出典[脚注の使い方]^ a b c d e f g h 「雪を擔って古井を?む」劣孫玄洋『無門関提唱』奥付
^ 『現代物故者事典2006?2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.480
^ 稲盛和夫流「お酒とのつきあい方」
^ a b 『うまれるってうれしいなぁ』わらいこうたろう著者略歴
^ 稲盛和夫が語る「幸せな人生の送り方」

外部リンク

西片擔雪老師秘話

典拠管理データベース
全般

VIAF

国立図書館

アメリカ

日本

学術データベース

CiNii Books

CiNii Research


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:7850 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef