西澤ヨシノリ
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西澤 ヨシノリ基本情報
本名西澤 良徳
通称おやじボクサー
中年の星
階級
ミドル級
スーパーミドル級
ライトヘビー級
クルーザー級
身長182cm
国籍 日本
誕生日 (1966-01-11) 1966年1月11日(58歳)
出身地長野県上田市
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数58
勝ち31
KO勝ち19
敗け21
引き分け6
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西澤 ヨシノリ(にしざわ よしのり、1966年1月11日 - )は、日本プロボクサー。本名、西澤 良徳(読み同じ)。長野県上田市出身。上田城南高校(現・上田西高等学校)卒業。ヨネクラボクシングジム所属。
来歴
幼少期

6歳のときに、テレビモハメド・アリの試合を見て強くなることを志す。また、プロレスが興行を行うと必ず観戦に行っていた。野球部に所属し、水を含んだボールを打って筋力を鍛えるトレーニングを行っていた。
プロデビュー

19歳のときに上京すると、1985年5月にヨネクラジムに入門。翌年10月21日にプロデビュー。1988年2月21日に大竹永寿を下し全日本ミドル級新人王決定戦で優勝。1991年6月27日に西條岳人の持つ日本ミドル級王座に挑戦したが10回判定引分で獲得できなかった。翌年5月17日に竹原慎二の持つ日本ミドル級王座に再び挑戦するも、10回判定負けで王座奪取に失敗した。1996年2月19日にケビン・パーマーの持つ日本ミドル級王座に3度目の挑戦を行うも、10回判定負けで獲得に失敗した。
日本王座獲得

1997年1月28日に、パーマーが返上し空位の日本ミドル級王座決定戦に出場。塚本健一に5回KO勝ちし、4度目の挑戦で日本ミドル級王座を獲得。1998年8月17日に日本王座3度防衛後、ケビン・パーマーのもつOPBF東洋太平洋ミドル級王座に挑戦するが12回判定負けで奪取に失敗した。同年11月24日の日本王座防衛戦で大谷信直に10回判定で敗れ、王座から陥落した(その後、ジムの後輩である保住直孝が大谷を倒しミドル級王座を獲得する)。
東洋太平洋王座獲得

1999年5月25日に階級を上げ、崔龍碩の持つOPBF東洋太平洋スーパーミドル級王座に挑戦し、12回判定勝ちで王座獲得に成功した。初防衛後、翌2000年3月28日の同王座防衛戦でガイ・ウォーターズに12回判定負けで敗れ、王座から陥落した。同年9月6日にさらに階級を上げ、寺地永の持つOPBF東洋太平洋ライトヘビー級王座に挑戦し、12回判定負けで獲得に失敗した。2001年3月27日に階級を戻すと、ヒース・ステントンと空位のOPBF東洋太平洋スーパーミドル級王座決定戦に出場し、12回引分で獲得に失敗した。同年6月19日にヒース・ステントンと再戦し、OPBF東洋太平洋スーパーミドル級王座獲得に成功した。

2001年10月に自らボクシングのプロモートを手掛けた(この際小学生以下の入場料を無料にし、収益金を市の福祉施設や学校に寄付した)。2003年6月2日に防衛1度、エキシビション3戦3勝で王座を返上。
世界王座挑戦

2004年1月19日にオーストラリアのウロンゴン・エンターテイメントセンターで、WBA世界スーパーミドル級王座に初挑戦。王者アンソニー・ムンディンオーストラリア)から序盤にダウンを奪う健闘を見せたが、5回43秒TKO負けを喫し、王座獲得に失敗した。

同年4月10日にポーラ・トゥイロー(フィジー)を5回2分59秒KO勝ちで破りOPBF東洋太平洋スーパーミドル級王座の3度目の獲得に成功した。防衛1度の後、同年12月1日に返上。

2004年12月18日にドイツで、WBC世界スーパーミドル級王座に挑戦。マルクス・バイエルドイツ)からダウンを奪うも、それ以外はほぼ完全に封じられ12回判定負け。

2005年6月21日に階級を上げ、デール・ウェスターマンの持つOPBF東洋太平洋ライトヘビー級王座に挑戦するが、12回判定負けで獲得に失敗。同年10月18日に階級を下げ、OPBF東洋太平洋スーパーミドル級王座決定戦に出場。ピーター・ミトレフスキーに、10回負傷判定負けし獲得に失敗した。翌2006年11月21日に階級を上げ、OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王座決定戦に出場。マリカ・カトニヘレ(フィジー)に1回1分39秒KO勝ちを収め、王座獲得に成功した。
海外での挑戦

2007年1月30日の防衛戦で、ヒース・ステントンに12回判定負けし、王座から陥落した。この結果JBCは2月5日に引退勧告及びライセンスの停止を行った。このとき41歳25日だった西澤は国外での現役を希望し、3月10日からオーストラリアクイーンズランド州にライセンス試験の受験のために渡航した。

同年7月20日にオーストラリアニューサウスウェールズ州ニューカッスルにて、再起戦となるWBFアジア太平洋ライトヘビー級王座決定戦に出場。ゲンスイット・トーシラチャイ(タイ)と対戦し、7回2分1秒KO勝ちを収め王座を獲得した。同州ではタイトル戦に限定し年齢制限がないためにライセンスが発行された。なお両者共に、WBFのアジア太平洋ランキングの10位以内には入っていなかった。

同年12月7日、オーストラリアニューサウスウェールズ州ワイオングにて、WBF世界ライトヘビー級王座決定戦に出場。


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