西 源四郎(にし げんしろう、文久2年10月25日(1862年12月16日) - 昭和3年(1928年)1月10日)は、日本の外交官。 西房至
経歴
明治30年(1897年)4月にドイツ公使館三等書記官となってからは法典調査会を離れ外国勤務となり、翌31年(1898年)12月に二等書記官に昇格、明治32年(1899年)3月にオランダ公使館へ転勤、明治36年(1903年)3月にオーストリア公使館へ異動、12月に一等書記官となった[1][2][3]。明治45年(1912年)4月に大使館参事官、大正4年(1915年)4月にシャム特命全権公使に任命されタイへ赴任、大正11年(1922年)3月にルーマニア特命全権公使に異動して翌12年(1923年)まで活動した。
帰国後の大正13年(1924年)4月に辞任、故郷の長府へ戻り病気療養に努め、昭和3年(1928年)に脳溢血で死去。享年65歳[1][2][3]。
栄典
位階
大正13年(1924年):従三位
勲章等
1895年(明治28年)10月31日 - 勲六等瑞宝章[4]
1902年(明治35年)12月28日 - 双光旭日章[5]
大正9年:勲二等瑞宝章
昭和3年(1928年):勲二等旭日重光章
外国勲章佩用允許
明治33年(1900年):赤鷲勲章
明治26年(1893年)12月に伊藤博文の三女朝子と結婚、一人娘の清子を儲けた。子孫は以下の通り。
藤井清子(1895年 - 1983年) - 朝子の娘[6]。チェコスロバキア公使・藤井啓之助の妻。
田付美代子(1916年 - ?) - 清子の長女[6]。デンマーク大使・田付景一
表
話
編
歴
在ルーマニア日本公使 (1922年 - 1923年)
公使
西源四郎1922-1923
堀口九萬一1923-1925
武者小路公共1925-1928
藤田栄介1930-1936
栗原正1937-1938
宮崎勝太郎1940
筒井潔1940-1943
柳井恒夫1943-1944
国交断絶1944
公使館引揚1946
国交再開1959
公使館再開1960
門脇季光1960-1961
山田久就1961-1963
下田武三1964
大使館昇格1964
大使