西海市立崎戸小学校
西海市立崎戸小学校(さいかいしりつ さきとしょうがっこう, Saikai City Sakito Elementary School)は、長崎県西海市崎戸町蠣浦郷(蛎浦島)にあった公立小学校。略称は「崎戸小」(さきとしょう)、「崎小」(さきしょう)。
2022年(令和4年)3月末に閉校し、西海市立大島東小学校・西海市立大島西小学校の2校と統合の上、「西海市立大崎小学校」(校地は大島東小学校)が新設された[1]。
概要
歴史
1874年(明治7年)に開校した「公立下等蠣浦小学校」(蠣浦の読みは「かきのうら」)と「公立下等崎戸小学校」を前身とする。明治末期からの崎戸炭鉱の発展により、人口が増加していき、昭和初期には蛎浦島と崎戸島合わせて小学校が4校(蠣浦・崎戸・昭和・浅浦)あった。しかし1959年(昭和34年)をピークに人口が減少し始め、1968年(昭和43年)の炭鉱の閉山により、人口が急激に減少したため蠣浦小学校が他3校を吸収する形で、1校に統合され「崎戸町立崎戸小学校」に改称した。2019年(令和元年)に創立から145年(統合から51年)を迎えた。2022年(令和4年)3月末をもって閉校し、148年(統合から54年)の歴史に幕を下ろした。
学校教育目標
「夢を抱き追い求める子ども、ふるさとを大切にし誇りに思う子ども、困難なことに顔を背けず真向かっていく子どもの育成」
校章
海の波を図案化したものを背景にして、中央に「崎小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
統合された1968年(昭和43年)に新しい校歌が制定された。作詞は前田博、作曲は山口健作による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「崎戸小学校」が登場する。
校区
住所表記で西海市崎戸町の後に「蠣浦郷、崎戸本郷」が続く地域。中学校区は西海市立大崎中学校。
沿革
旧・蠣浦小学校
1874年(明治7年)4月 - 学制に基づき、第十八学区第五小学区の小学校として、「公立下等蠣浦小学校」が開校。
蠣浦郷2118番地の旧・庄屋・家屋を校舎とし、児童約50名を収容。
1885年(明治18年)6月 - 学区が改正され、「面高[2]学区公立下等蠣浦小学校」に改称。学務世話係を設置。
1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、簡易科(3年制)を設置し、「簡易蠣浦小学校」に改称。
1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、黒瀬村(後に大島町)が発足。黒瀬村立の小学校となる。
1890年(明治23年)
この年 - 黒瀬村より崎戸村が分離・独立。崎戸村の小学校となる(ただし学校の運営は蠣浦郷の経費で賄う)。
10月 - 小学校令の改正により、簡易科を廃止し、尋常科(4年制)を設置した上で、「尋常蠣浦小学校」に改称。
1893年(明治26年)12月 - 小学校令の一部改正により、「蠣浦尋常小学校」に改称。
1904年(明治37年)4月 - 高等小学校等に進学しない児童を対象に補習科(2年制)を設置。
1906年(明治39年)4月 - 裁縫科を設置。
1907年(明治40年)
4月 - 崎戸村役場を仮校舎とする。
この頃 - 石炭の採掘が始まり、徐々に人口が増加する。
1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育の年限が尋常科4年から尋常科6年までに延長されたため、尋常科5年を設置。
1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を設置。
1913年(大正2年)- 児童数の増加で校舎が不足したため、栗崎にあった中島甚兵衛の長屋を校舎として借用。
1915年(大正4年)4月 - 小学校の運営が蠣浦郷から崎戸村に変更となる。
1916年(大正5年)4月 - 高等科を併置し、「蠣浦尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
1917年(大正6年)5月10日 - 校舎2棟を新築し、移転を完了。創立記念日を制定。
1919年(大正8年)4月 - 「蠣浦女子実業補習学校」を併設。
1921年(大正10年)5月 - 併設の実業補習学校に男子部が設置され、「蠣浦実業補習学校」(男子部・女子部)に改称。