西浦勝一
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出典検索?: "西浦勝一" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年12月)

西浦勝一
第64回川崎記念表彰式(2015年1月28日)
基本情報
国籍 日本
出身地高知県高知市
出生は長崎県島原市
生年月日 (1951-02-07) 1951年2月7日(73歳)
騎手情報
所属団体日本中央競馬会
所属厩舎阪神栗東土門健司(1969.3 - 1992.2)
栗東・フリー(1992.3 - 引退)
初免許年1969年3月1日
免許区分平地
騎手引退日1996年2月29日
重賞勝利26勝
G1級勝利5勝
通算勝利6103戦635勝
調教師情報
初免許年1996年1997年開業)
調教師引退日2021年2月28日
重賞勝利37勝(中央23勝/地方14勝)
G1級勝利15勝(中央6勝/地方9勝)
通算勝利中央5450戦458勝
地方92戦22勝
海外6戦0勝
経歴
所属栗東T.C.
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西浦 勝一(にしうら かついち、1951年2月7日 - )は高知県高知市出身(長崎県島原市生まれ)の元騎手・元調教師

自厩舎所属の調教助手であった西浦昌一は長男。
来歴
騎手時代

島原で生まれるが[1]、後に高知へ移住。高知競馬の調教師であった父・孫一の影響もあって、少年時代を馬の近くで生活していた西浦は当たり前のように騎手を志した[2]。その旨を父に伝えた際に「騎手になるなら地方より中央の方が良い」という勧めで、父が中央を抹消された馬を受け入れたりしていた関係[3]で付き合いがあった阪神土門健司厩舎を紹介されて弟子入りが決まった[4]

中学卒業後の1966年馬事公苑騎手養成長期課程へ入所し、3年間の修業期間を経て、修了後の1969年3月1日京都第1競走4歳未勝利・フサトロジニー(11頭中11着)でデビュー。4月13日に阪神第5競走5歳以上300万下・ミシマホープで初勝利を挙げたが、この年は18歳から23歳まで26人もの新人騎手が誕生した年で、西浦は88戦して僅か2勝しか挙げられなかった[3]。2年目の1970年も83戦3勝と将来が思いやられるような成績が続いたが[3]、師匠の土門はよほどのことがない限り厩舎の馬には弟子たちを乗せる調教師であったため、成績が上がらない時でも厩舎の馬で経験を積むことができた[5]。研修生として厩舎に来ていた時から、夕食を挟んで夜遅くまで土門の話を聞かされるのが日課となっていた。普段の土門は思いやりがあって優しい父親のような存在であったが、仕事になると厳しい師匠であった。競馬で負けても怒られなかったが、勝った時には呼ばれて2時間3時間と説教されていた。西浦は気が急いで早めに馬を追ってしまうところがあったため、土門は厳しく叱り、仕掛けるタイミングの大切さを繰り返し教え込んだ[5]

5年目の1973年からは平地競走に専念し、同年にはプリムラクインでタマツバキ記念(春)を制して重賞初勝利を挙げる。当初の10年ほどは目立たない存在であった一方[6]栗田勝からは「土門さんの西浦いう子は、実に騎座も安定し将来性十分」との評も送られていた[7]1977年に自厩舎のアイノクレスピンで牝馬クラシック戦線に参戦し、初めて表舞台で注目を浴びる。インターグロリアリニアクインと共に「最強牝馬世代」の1頭と呼ばれた同馬は桜花賞5着、優駿牝馬は12日前に交通事故による怪我のため騎乗できなかったが、エリザベス女王杯は1番人気に推されて4着と無冠に終わった。1979年ロングエース産駒のテルテンリュウNHK杯を勝ち、関東のファンにも名前を知られるようになった。

28歳で東京優駿に初めて騎乗し、ゴール100m前まではカツラノハイセイコと競り合うも最後に力尽きて3着となったが、直線で内に斜行して2着のリンドプルバンの進路を妨害、騎乗停止処分を受けてしまう[8]。そのテルテンリュウで1980年には中京で開催された宝塚記念を制覇し、初のビッグタイトルを手にする。レースではスタートこそ出遅れたものの、1周目の直線で後方から好位に取り付き、最後の直線でインを突いて追い込んで勝利した[9]。これを契機に他厩舎からも有力馬への騎乗を依頼されるようになり[10]1981年にはアグネステスコでエリザベス女王杯を制覇。前走の京都牝馬特別で2着に敗れた反省を踏まえて騎乗し、後に「会心のレースだった」と振り返っている[9]。終始5、6番手を進むと、4コーナーを回ってライバルたちが動き出した中、ギリギリまで仕掛けを遅らせてクビ差の勝負を物にした。この2頭による活躍で関西の中堅実力派としての地位を確立し、1982年には勝ち数を30勝まで伸ばして全国26位まで上昇する[11]

1983年秋より、土門の長男で弟弟子の土門一美が管理するカツラギエースの主戦騎手を務める。京都新聞杯を勝って臨んだ菊花賞は20着と大敗したが、1984年にはサンケイ大阪杯京阪杯と重賞2連勝の後、宝塚記念では2番手から抜け出してスズカコバンら強豪を下して3連勝でGl初制覇。秋には始動戦の毎日王冠ミスターシービーを抑えて勝利し、天皇賞(秋)5着を挟み、ミスターシービー・シンボリルドルフの新旧三冠馬対決が話題を独占するジャパンカップに参戦。宝塚記念を制した時には「中距離の王者」と称されていたカツラギエースも14頭中10番人気と人気薄の完全な伏兵であったが、西浦は陣営と相談を重ねて様々な秘策を講じた。長距離でカツラギエースを落ち着かせるために初めてメンコを装着したほか、通常より手綱を30cm長く持ってリラックスさせ[12]、距離を克服しようとした作戦が見事に功を奏す。レースでは初めてスタートから先頭に立つ逃げを見せ、向正面では2番手を10馬身以上引き離す大逃げを打つ。直線でイギリスのベッドタイムら後続を一度引き付ける余裕を見せ、絶妙なタイミングでスパートしてそのままゴール。無敗のシンボリルドルフに初めて黒星(3着)を付け、創設4年目にして初の日本馬優勝を果たした。西浦はこの勝利について「見てる人もまさかと思ったでしょう。乗ってるぼく自身が『勝った!』っていう喜びじゃなくて、『勝ってしまった』という感じでしたから。


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