西浜町停留場
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西浜町停留場
西浜町停留場
にしはまのまち
Nishihamano-machi

所在地長崎県長崎市銅座町4番1号先.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度44分37.55秒 東経129度52分33.89秒 / 北緯32.7437639度 東経129.8760806度 / 32.7437639; 129.8760806 (西浜町停留場)
所属事業者長崎電気軌道
駅構造地上駅
ホーム2面2線
乗降人員
-統計年度-1,500人/日
-2015年-
開業年月日1920年大正9年)12月25日
乗入路線
所属路線本線(■1号系統・□2号系統・■5号系統
駅番号32
キロ程6.3km(住吉起点)
赤迫から6.6 km
◄31A/B 新地中華街 (0.1 km) (0.2 km) 観光通 33►
所属路線蛍茶屋支線(□2号系統・■4号系統・■5号系統
駅番号36
キロ程0.0 km(西浜町起点)
(0.1* km) 浜町アーケード 36►
備考* 駅間は実キロ
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浜町アーケード停留場
浜町アーケード停留場
はまのまちアーケード
Hamano-machi Arcade

◄32 西浜町 (0.1* km) (0.4 km) めがね橋 37►
所在地長崎県長崎市浜町北緯32度44分37.55秒 東経129度52分33.89秒 / 北緯32.7437639度 東経129.8760806度 / 32.7437639; 129.8760806 (浜町アーケード停留場)
駅番号36
所属事業者長崎電気軌道
所属路線蛍茶屋支線(□2号系統・■4号系統・■5号系統
キロ程0.0 km(西浜町起点)
駅構造地上駅
ホーム2面2線
乗降人員
-統計年度-3,800人/日
-2015年-
開業年月日1920年大正9年)12月25日
備考* 駅間は実キロ
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西浜町停留場(にしはまのまちていりゅうじょう、西浜町電停)は、長崎県長崎市にある長崎電気軌道路面電車停留場である。駅番号は西浜町が32、浜町アーケードが36。本線と蛍茶屋支線が接続する停留場で、1号系統2号系統5号系統が停車する。

長崎市中心部、浜町アーケード近くの西浜町交差点にあり、多数の電車が行き来する交通の要衝[1][2]。乗り場は当初、交差点を挟んで同市浜町と銅座町の2か所に分かれ、浜町にある乗り場は「アーケード入口」と括弧書きの別名が与えられていたが[2]、2018年8月1日に浜町側の乗り場のみ浜町アーケード停留場(はまのまちアーケードていりゅうじょう、浜町アーケード電停)に改称した。こちらには2号系統・4号系統・5号系統が停車する(2号系統と5号系統は西浜町と浜町アーケードの両方に停車する)。
歴史

西浜町停留場は1920年(大正9年)の開業[3]築町 - 古町(廃止)間の開通と同日のことで[4][5]、乗り場は当初銅座町側のみだった[2]。翌年には西浜町から思案橋までの区間が開通する[2][4]。アーケード入口側の乗り場が設けられた時期は不詳だが、長崎電軌によると1921年から1933年ごろとされる[2]。ただ当時設定されていた系統[7]で両方の乗り場を経由するものは存在しなかったという[2]

1945年(昭和20年)8月9日には原爆投下を経験、西浜町交差点は戦災に見舞われなかったが[8]、長崎電軌の路線は全線不通となる[9]。当停留場を含む長崎駅前 - 西浜町 - 蛍茶屋間は被爆から最初に復旧した区間であり、同年11月に運行を再開[8][10]。このとき電車は当停留場の両方の乗り場を経由し運行されたとみられる[2]。残る西浜町 - 思案橋間は軌道上に闇市が立ってしまったために再開が遅れ、1953年(昭和28年)7月に復旧した[8]。復旧までの一時期は当停留場を起終点として大橋までを結ぶ、1号系統の代役を担うような系統が設定されていた[6][8]

2022年9月より本停留場での1号系統崇福寺方面と5号系統蛍茶屋方面の乗り換えができるようになると発表されている。同月から実施される4号系統の大幅減便により、利便性低下を緩和させる事が目的である[11]。 それ以外の方向の乗り換えについては、隣の新地中華街停留場での乗り換えが指定されている[12]
年表

1920年大正9年)12月25日:築町から古町までの区間が開通したのに合わせて開業[4][5]

1921年(大正10年)4月30日:西浜町から思案橋までの区間が開通[4][5]

1945年昭和20年)

8月9日:原爆投下により全線不通[13]

11月25日:長崎駅前から西浜町を経由し蛍茶屋までの区間が復旧[4][13]


1953年(昭和28年)7月1日:西浜町から思案橋までの区間が復旧[4]

2000年平成12年)3月20日:銅座町側の乗り場を改築[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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