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出典検索?: "西江邸"
西江邸・西江家住宅主屋
外観
所在地岡山県高梁市成羽町坂本1604
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度52分8.5秒 東経133度26分57.3秒 / 北緯34.869028度 東経133.449250度 / 34.869028; 133.449250座標: 北緯34度52分8.5秒 東経133度26分57.3秒 / 北緯34.869028度 東経133.449250度 / 34.869028; 133.449250
類型庄屋・代官屋敷
形式・構造木造、入母屋造、石州瓦葺 館構え
敷地面積約3,000坪
建築年宝永・正徳年間(1704年?1715年)
文化財国の登録有形文化財
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西江邸(にしえてい)・西江家住宅は、岡山県高梁市成羽町坂本に現存する江戸中期の代官御用所。国の登録有形文化財。 西江家は、家譜によると坂東八平氏のひとつ三浦義明氏嫡流の出自であり、鎌倉時代は北面の武士をしていた。応仁の乱を経て室町末期より京都から当地に居住し、山城を守る武士となる。戦国時代より毛利氏に臣従し、初代・西江大蔵清成は、天正の戦乱で武功をあげ、天正10年に毛利輝元(書状あり)より二百町歩の土地を与えられた。その後、関が原の戦いでの毛利氏敗退により、武士を捨て帰農した。当時より郡中惣代庄屋を務め、豪農商ではあったが、一般農家では門を構えること自体許可されておらず、西江家楼門は、天領地を任されていた格式を示すものである。 県道33号線沿いから少し坂を上ったところに位置し、現在も個人宅として維持管理されている。現在で18代目となる。6代目兵右衛門が宝暦年間(1751年 - 1761年)、本山鉱山から採掘された鉄鉱石より、日本で初めて弁柄(酸化第二鉄)の製錬に成功した。以来350年にわたり、弁柄の原料となる緑礬(ローハ)と弁柄(酸化鉄)の生産で富を成した。西江家の母屋等創建は宝永・正徳年間(1704年 - 1715年)である。当時、惣代庄屋で請負代官を兼ね、白洲跡・郷倉・駅馬舎・手習い場・式台などその当時の社会システム(自主的行政機構 敷地は約3000坪、部屋数は41部屋,161畳を数える。現在、郷蔵を資料館とし、また、邸内一部・役宅部分を一般公開している。銅山を中心として弁柄産業で栄えた吹屋地区のランドマークのひとつであり、現当主によりベンガラ(弁柄)産業を復興させた。人の住まう活きた文化財である。18代目西江晃治が岡山大学、九州大学との研究の末、公害の出ない新たな製法により平成20年にベンガラを再興させ、同時に研究所を設立。
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