西武新宿駅
正面口・駅ビル(2020年9月)
せいぶしんじゅく
Seibu-Shinjuku
(2.0 km) 高田馬場 SS02►
所在地東京都新宿区歌舞伎町一丁目30-1北緯35度41分46.5秒 東経139度42分0秒 / 北緯35.696250度 東経139.70000度 / 35.696250; 139.70000
西武新宿駅(せいぶしんじゅくえき)は、東京都新宿区歌舞伎町一丁目にある西武鉄道新宿線の駅である。同線の起点で、駅番号はSS01。目次 西武新宿駅は、東日本旅客鉄道(JR東日本)や他の大手私鉄や地下鉄の新宿駅から見て北にあり、徒歩圏内ではあるが数百m離れている[2]。西武新宿駅は、本川越 - 高田馬場間を結んでいた旧西武鉄道村山線(現・西武鉄道新宿線)が国鉄新宿駅まで延伸する過程で仮駅として誕生し、新宿線の新宿駅乗り入れの中止とともに恒久的ターミナル駅となった歴史を持つ。 京成電鉄本線の京成上野駅、京浜急行電鉄本線の泉岳寺駅とともに、山手線より内側にある数少ない私鉄(東京メトロを除く)の駅となっている。 旧西武鉄道の終点だった高田馬場駅は山手線以外に接続路線がなかったため、さらに都心部へと延長する計画は第二次世界大戦前からあった。戦前は早稲田まで延長して市電と接続させようとし、この区間の免許も受けていたが実現せずに終わった。戦後は国鉄新宿駅への延伸を目指すこととなった。 山手線と並行する高田馬場 - 新宿間に免許が下りたことは当時としては異例であり、次のような逸話が残っている。戦後、千葉県内に敷設されていた陸軍鉄道連隊施設(現在の新京成電鉄路線)の払い下げにおいて、いったんは西武鉄道が引き受けることに決まった。ところが「千葉県内は京成」という行政側の判断で、一転して京成電鉄に譲られることになった。その代替として西武鉄道にとって悲願である高田馬場 - 新宿間に対し免許が与えられたという[3]。 別説として、鉄道アナリストの広岡友紀によると、民鉄路線を山手線内側へ入れないという政策がある中で西武鉄道に高田馬場 - 新宿間の免許が交付されたのは、終戦直後に運輸省が西武に資材の一部を放出させた見返りだという。西武は戦中戦後に払い下げ品によって車両増備をしていたが、戦後の混乱期には多くの鉄道事業者が資材不足に悩んでいた[4]。 1948年(昭和23年)に高田馬場 - 新宿間の免許を取得した西武鉄道は、村山線を高田馬場駅から新宿駅まで延伸することとなった。しかし新宿周辺の区画整理がなされていなかったため、1952年(昭和27年)3月25日に西武新宿駅までを暫定的に開業した。これに伴い、当時「西武線」もしくは「村山線」と呼ばれていた路線は「新宿線」と改称された。西武新宿駅は仮駅のまま営業を続け、新宿駅東口の再開発を待っていた。 元々、当駅の周辺は角筈と呼ばれた地域だった。当駅の場所には都営バスの新宿車庫があった。西武新宿駅(角筈) - 新宿駅間は元々、同社が1951年(昭和26年)まで所有していた新宿軌道線(西武軌道線、新宿 - 荻窪間、後の都電杉並線)の休止区間を東京都に譲渡せずそのまま免許線として保有し、また軌道も長年放置されていた。この軌道跡の所有権を根拠に、ゆくゆくは新宿駅まで延伸する計画だった。 1950年代終わり頃から、新宿東口駅舎を取り壊して駅ビルを建設する計画が立てられた。西武もこの計画に参加し、新宿線は駅ビルに乗り入れる予定になった。新宿歴史博物館の「ステイション新宿」では、新宿駅ビル設計図によると、西武線はビル2階に高架線で乗り入れ、2階には切符売り場・駅務室、1階にも駅務室が置かれる設計であったとされている[5]。
1 歴史
1.1 新宿乗り入れ計画
1.2 仮駅としての開業
1.3 新宿駅乗り入れ中止
1.4 ターミナルとなってから
1.5 新宿線複々線化計画
1.6 バブル時代の再度の新宿南口延伸計画
1.7 1980年 - 現在
2 駅構造
2.1 駅ビル
2.2 のりば
3 利用状況
4 駅周辺
4.1 正面口
4.2 北口
4.3 バス路線
5 付記
6 隣の駅
7 脚注
8 注釈
9 出典
10 関連項目
11 外部リンク
歴史
新宿乗り入れ計画
仮駅としての開業
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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