西武所沢車両工場
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西武所沢車両工場
西武所沢車両工場
(閉鎖後の全景・2007年5月)
基本情報
所在地埼玉県所沢市東住吉
鉄道事業者西武鉄道
最寄駅所沢駅
管轄車両西武鉄道が保有する全車両
開設1947年(昭和22年)1月
廃止2000年(平成12年)6月15日
車両基地概要
敷地面積39,326 m2
年間製造能力16両 / 年
年間検修能力定期検査:350両 / 年
更新修繕:50両 / 年
備考データは1991年9月30日当時[1]
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西武所沢車両工場(せいぶところざわしゃりょうこうじょう)は、1946年昭和21年)から2000年平成12年)まで存在した[2]、主に西武鉄道に在籍する鉄道車両の保守管理業務、および鉄道車両の製造業務を行っていた工場[1]
概要

池袋線新宿線所沢駅に隣接して立地する[1]。西武鉄道に在籍する鉄道車両の定期検査など通常の保守管理業務のほか、1954年(昭和29年)より鉄道車両の製造業務を開始[3]、西武鉄道のみならず中小私鉄を中心に日本国内の私鉄各社へ納入したほか、他の車両メーカーの下請けとして他社が受注した車両の製造業務を担当した[4][5]。また、西武鉄道において廃車となった鉄道車両はもちろんのこと、他事業者において廃車となった鉄道車両の譲渡に際しても積極的に関与し[6]、各種改造を実施した上で中小私鉄へ譲渡したことも特筆される[6]

当工場は鉄道車両関連事業以外にも、自動車整備業務・ダンプトラックなど特殊車両の製造業務、遊園地遊戯施設の製造業務、砂利採取機械の製造・整備業務などを幅広く手がけ[7]日野自動車製ダンプトラックのダンプ部分の装架や、系列会社である西武バスの車両整備なども担当した[7]

設立当初は西武鉄道の傘下企業の一つである復興社(現:西武建設)が運営する工場であったが[2]1973年(昭和48年)12月の組織改組に伴って西武鉄道の直営工場に変更された[2]。以降の当工場は、大手私鉄が直営する日本国内唯一の鉄道車両の量産製造工場となり、鉄道車両製造専業メーカーと同等の技術力・生産能力を備える[8]、日本の電鉄業界においては極めて特異な存在の工場であった。

1969年(昭和44年)に西武初の特急形車両である5000系電車日立製作所に発注されるまで、西武鉄道が保有する鉄道車両は全車とも当工場で新製された[1]。また通勤形電車については1979年(昭和54年)に新101系電車東急車輛製造(現:事業は総合車両製作所に継承)に発注されるまでの期間、全ての車両が当工場で新製された[1]

1983年(昭和58年)以降は鉄道車両の製造業務を段階的に縮小した末、1999年(平成11年)3月をもって終了した[2]。定期検査業務についても翌2000年(平成12年)6月をもって終了し[2]、池袋線武蔵丘信号場付近に新設された武蔵丘車両検修場へ業務を引き継ぐ形で、同月15日に当工場は閉鎖となった[2]
歴史入出場線から構内を見る
(1975年8月)入出場線から構内を見る
(閉鎖後 2007年5月)

本節においては、主に鉄道車両製造事業者としての所沢車両工場について述べる。
黎明期

終戦後、西武グループの創始者・堤康次郎による「自らの力で電車を動かせる工場を作れ[9]」との指示の下、1946年(昭和21年)9月に復興社保谷車輌工場[9]、同年11月には復興社所沢車輌工場がそれぞれ発足した[9]。前者は電気関係の部品の補修を、後者は車両の補修をそれぞれ担当し[9]、所沢車輌工場は当初所沢駅の東側、後に所沢車両管理所の敷地となった場所に仮設の工場を新設し業務を開始した[9]

同時期には旧日本陸軍立川航空工廠所沢支廠跡の敷地払い下げを連合国軍 (GHQ) 側に働きかけ[10]、翌1947年(昭和22年)1月より建物・設備を借り受け、所沢車輌工場は正式に操業を開始した[10]。当初は戦中の酷使によって極度に疲弊した従来車の整備を主な業務としたが[10]、後に西武鉄道が車両不足対策として空襲によって被災焼失した日本国有鉄道(国鉄)の車両、いわゆる「戦災国電」を大量に購入して復旧の上で導入するに際して、当工場も復旧工事を担当し、1948年(昭和23年)4月に当工場が担当した復旧車両第一号が落成した[11][注釈 1]1950年(昭和25年)2月には保谷車輌工場を当工場へ統合[12]、鉄道車両の製造および保守管理業務は当工場へ一本化された。

その後は戦災国電の復旧工事のほか、1950年(昭和25年)以降は並行して木造国電の台枠のみを流用して車体を新製する業務を開始したが[13]、業務開始に際しては戦前の国鉄大井工場(現・東日本旅客鉄道東京総合車両センター)および大宮工場(現・同大宮総合車両センター)においてモハ50形・クハ65形電車の車体新製に関わった技術者を大量に雇い入れ[13]、技術習得に努めた。それらによって培われた技術力を元に、1954年(昭和29年)7月には完全新規設計による新型車両、501系電車(初代)モハ501・502およびサハ1501・1502の4両が落成した[3]。以降、西武鉄道に在籍する車両の新製は全て当工場によって行われたが[1]、1950年代から1960年代にかけて新製された西武鉄道向けの鉄道車両各形式については、前述した戦災国電復旧車両の導入と同時に大量に購入した国鉄制式の主要機器[注釈 2]が標準装備された点が特徴であった[14]。また1952年(昭和27年)7月より西武鉄道以外の鉄道車両の受注業務を開始[15]、木造車体の鋼体化改造車から台枠から新製した完全新製車の製造業務を始めとして、西武鉄道において廃車となった車両を地方私鉄へ譲渡するに際しての各種改造業務、および他事業者において廃車となった車両を購入し各種改造の上で地方私鉄へ転売する業務まで幅広く手がけ、各社へ納入した[6][15]


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