西武バス練馬営業所
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西武バス練馬営業所(せいぶバスねりまえいぎょうしょ)は、東京都練馬区南田中に位置する西武バスの営業所である。

練馬区東部と杉並区北西部、都内発着の高速バスを主に担当するほか、観光バス(一部は西武観光バス)が配属されている。また東京都道317号環状六号線(通称:山手通り)を経由して池袋駅 - 新宿駅を結ぶ路線、荻窪駅界隈を発着する路線などが設定されている。

車庫最寄りの停留所は、都営バス練馬支所(練馬車庫)・国際興業バス練馬営業所(練馬北町車庫)との混同を避けるため、「南田中車庫」としている。営業所前には関東バスの停留所があるが、こちらは南田中一丁目[注 1]である。

2007年3月18日より上石神井高野台新座営業所と共にICカードシステム(PASMOSuica)が一般路線に導入された。Midnight S-tarmine(深夜急行バス):池袋 - 小手指線での扱いは、後述する。
沿革
都心への路線拡張と営業所の開設

練馬営業所は1951年、大泉営業所(現・上石神井営業所の前身)に続く都区内2番目の西武バス営業所として、練馬区豊玉北(現・練馬区役所の向かい付近)に開設された。

終戦直後の「西武自動車」発足時は、都区内では大泉・関町周辺で営業しているだけだったが、徐々に都心方面へ拡大され、特に都営バス・関東バスとの共同運行によると新直通路線の新設に力が注がれた。このうち練馬営業所が担当した路線は

新橋線(1948年開業):新橋駅 - 新宿駅 - 小滝橋 - 阿佐ヶ谷車庫 - 下井草駅 - 石神井公園駅

丸山線(1948年開業):新橋駅 - 新宿駅 - 小滝橋 - 哲学堂 - 都立家政 - 鷺ノ宮駅

大久保線(1950年開業):東京駅 - 大久保駅 - 新井薬師駅

で、丸山線・大久保線は関東バスを加えた3社共同運行だった。詳細は「関東バス阿佐谷営業所#東京線」および「都営バス杉並支所#高71系統」を参照「都営バス小滝橋営業所#110系統」および「関東バス丸山営業所#新東線」も参照

都心直通路線以外では、1949年から1954年にかけて成増線(成増町 - 練馬駅)、井荻線(荻窪駅 - 井荻駅 - 豊島園)、鷺ノ宮線(鷺ノ宮駅 - 吉祥寺駅)のような、現行路線の基礎となる区間を含んだ路線が開業した。また、社史と当時の自治資料で若干記載内容が異なるが、同じ頃に池袋駅から江原町中野通りを経由して新井薬師方面に向かう路線を「池袋線」として開業している。1955年には山手通りの開通に伴う路線免許の競願に対して西武に免許が下ったため、中井線(宿20)の運行が開始された。1959年にかけては新宿線(新宿駅 - 豊島園)、成池線(池袋 - 成増町)などが相次いで新設され、新宿・池袋を発着する路線が強化されていく。
路線網の強化と営業所の移転

1960年代に入ると練馬区内では宅地化の進行と同時に道路も整備されていき、練馬駅とこれらを結ぶ路線が数多く新設される。北町の都営住宅には北町線(練馬駅 - 練馬北町)が、南部の豊玉・中村地区でも練馬鷺宮線(練馬駅 - 鷺宮二丁目)、練馬循環線(練馬駅 - 豊玉南一丁目循環)が開通、谷原地区には練馬と成増を結ぶ二番目の路線として「谷原線」が運行を開始した。1965年には東京都道318号環状七号線(環七通り)の開通に伴う路線免許の競願に対して、今度は数社に免許が下り、西武は高円寺線の運行を開始した。これについて社史には高円寺駅 - 練馬駅線が開業したとあるが、1969年の路線図によればこの路線は出入庫で、本線は池袋駅 - 高円寺駅となっている。このように新路線の開通が相次ぎ、営業所が手狭になったことから、1968年に営業所を現在の南田中に移転した。移転に伴い、新橋線が大泉営業所に移管されるなど、若干の路線調整があった。
一般路線の再編成と高速バス

この時代になると、交通量の増加によってバスは定時運行が出来なくなり、路線の整理も行われるようになった。特に練馬営業所は、他社が営業基盤を持つ地域に後から参入した路線が多かったため、運行が維持できずに路線単位で廃止されたものも少なくない。

都心直通路線は最終的に丸山線と大久保線を担当していたが、前者は1969年、後者は1971年に廃止された。また、1960年代半ばころから1970年代後半にかけて、新宿線、成池線、練馬鷺宮線、練馬循環線、池袋線、高円寺線などの路線が次々に廃止され、西武バスは中野区内に路線をほとんど持たなくなった。井荻線は井荻駅 - 豊島園が短縮され、成増線と北町線は練馬駅西側の踏切渋滞を避けるために豊島園発着となり、さらに北町線は平和台駅が開業したことによって乗客が減少し、1984年に廃止された。この年にはグラントハイツ跡地に光が丘団地が完成したのに伴い、団地と成増・豊島園を結ぶ「光が丘団地線」の運行が開始され、街が成熟するにつれ主力路線となった。

翌年には他社に先駆けて高速バス「東京 - 新潟線」が開業され、想定以上の収益をあげたことから路線網が拡張、練馬営業所はその運行を担うこととなった。1990年代は、都営地下鉄12号線の開通で路線の整理も実施されたが、2000年には都営地下鉄大江戸線に接続する土支田循環線のような新路線も開業している。

2011年5月16日には高野台営業所が統合され、石神井循環線、石神井成増線、石神井荻窪線(上井草経由)が移管された[1]。一方、西武観光バス練馬営業所の機能は高野台営業所跡に移転する。また時期を同じくして、路線バスのLED行先表示器(前面・後面)の系統番号表示が、四角枠内に頭文字と番号が上下均等に表示する書式から、系統番号と行先を縦棒で区切り番号を大きく表示(後面表示器では頭文字を縮小)する書式へ変更された[注 2]。尚、2015年3月下旬からは、従来のLEDを改造して、新たに路線バス用に開発された「カラーLED」方向表示(前面・側面・後面いずれもカラーLED)車が、上石神井・滝山新座等と共に出場、運用に入っている [1]。
現行一般路線

路線名称は西武バスでの呼称によった[2]
団地線

光31:
成増駅南口 - 光丘高校 - 光が丘団地 - 光が丘IMA - 光が丘駅

練高01:成増駅南口 - 光丘高校 - 光が丘団地 - 光が丘IMA - ( ← 光が丘駅 ← )- 光が丘三丁目 - 谷原三丁目 - 練馬高野台駅

練高02:成増駅南口 - 光丘高校 - 光が丘団地 - 光が丘IMA - ( ← 光が丘駅 ← ) - 光が丘三丁目 - 谷原三丁目 - 練馬高野台駅 - 南田中車庫 (成増駅発のみ深夜バスあり。)




成増駅発のみ地下鉄成増駅に停車

米軍グラントハイツ跡地に建設された光が丘団地の入居開始にあたり、関係者の協議で西武バスが東武東上線に、国際興業バスが営団地下鉄有楽町線に、それぞれ連絡する路線を開設することが決定した。


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