西正文
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西 正文びわこ成蹊スポーツ大学硬式野球部 コーチ
基本情報
国籍
日本
出身地兵庫県
生年月日 (1960-11-25) 1960年11月25日(63歳)
身長
体重169 cm
68 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション二塁手遊撃手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


兵庫県立尼崎小田高等学校

大阪ガス

監督・コーチ歴


大阪ガス

永和商事ウイング

びわこ成蹊スポーツ大学

国際大会
代表チーム 日本
五輪1992年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

オリンピック
男子 野球
1992野球
1988野球

西 正文(にし まさふみ、1960年11月25日 - )は、兵庫県出身の元アマチュア野球選手二塁手)。

小柄ながら走攻守に優れた二塁手として活躍し[1]ソウルバルセロナの両五輪の野球競技に、日本代表としては唯一連続で参加した。
経歴
学生時代

浦風小学校野球を始める。小田南中学校を経て尼崎小田高校に進むが、野球部は強豪ではなく、将来は公務員になる事を考えていたという[2]。設備などの環境は必ずしも充実していなかったが、主体的に考えて練習に取り組む姿勢が身についたと語っている[2]。3年生で迎えた1978年夏の兵庫大会は4回戦で東洋大姫路と当たり、2-3で惜敗。この試合を観戦していた大阪ガスの関係者に勧められ、8月9日に同社野球部のセレクションを受けて合格した。
社会人時代

1979年に大阪ガスに入社したが野球部は復部2年目で、都市対抗野球大会は大阪府予選での敗退が続いた。野球に対する意識の高さなどから社会人野球で通用する実力を身に付け[2]ロス五輪の日本代表選出では最終選考まで候補として残り、1984年には日本生命の補強選手として初めて第55回都市対抗野球大会に出場した。翌1985年アジア野球選手権大会野球日本代表に初めて選ばれ、また日本生命の補強選手として第56回都市対抗野球大会優勝に貢献している。一方、ロス五輪に参加出来なかった悔しさなどから、アマ球界に残ってソウル五輪への出場を目指す事をこの頃に決意した[2]

1986年は大阪予選を突破してチームが都市対抗に初出場を果たし、本大会でもベスト8進出を果たした。目標だった1988年のソウル五輪では日本代表に選ばれ、主に遊撃手として出場した。予選リーグの対オランダ戦以外は葛城弘樹とともにスタメンの一、二番を形成し、葛城の代打に野村謙二郎が入った時は三塁手の守備も務めている[3]。準決勝の対韓国戦で1打点を挙げるなど銀メダル獲得に貢献した[4]が、決勝のアメリカ戦では最後の打者となっている[2]

多くの代表選手がプロ入りしたこともあってさらにバルセロナ五輪も目指し、1991年9月に31歳の最年長選手として自身初のアジア予選に参加。


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