西松建設
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破産した、大阪市住吉区に本社のあったニシマツコーポレーション(旧社名:西松建設)とは異なります。

西松建設株式会社
Nishimatsu Construction Co., Ltd.
本社・虎ノ門ヒルズビジネスタワー
種類株式会社
市場情報東証プライム 1820
1961年11月16日上場
略称西松建
本社所在地 日本
105-6407
東京都港区虎ノ門一丁目17番1号
虎ノ門ヒルズビジネスタワー6・7F
設立1937年(昭和12年)9月20日
業種建設業
法人番号8010401021454
事業内容土木建築および機器装置その他建設工事全般に関する請負 他
代表者P伸利代表取締役社長執行役員社長)
一色眞人(代表取締役兼執行役員副社長)
河埜祐一(代表取締役兼執行役員副社長)
資本金235億1364万3819円
(2023年3月31日現在)
売上高連結:3,397億57百万円
単体:3,283億85百万円
(2023年3月31日現在)
営業利益連結:126億15百万円
単体:120億65百万円
(2023年3月31日現在)
純資産連結:1,561億48百万円
単体:1,450億69百万円
(2023年3月31日現在)
総資産連結:5,136億23百万円
単体:4,909億38百万円
(2023年3月31日現在)
従業員数連結:3,201人、単体:2,804人
(2023年3月31日現在)
決算期3月31日
主要株主日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 13.18%
伊藤忠商事株式会社 10.13%
株式会社日本カストディ銀行(信託口)5.42%
明治安田生命保険相互会社 2.31%
西松建設持株会 2.19%
主要子会社西松地所
西松アセットマネジメント
泰国西松建設
西松ベトナム
西松リアルエステート・デベロップメント(アジア)社
バンコクサトーンホテルマネジメント社
関係する人物石橋直(元社長)
近藤晴貞(元社長)
外部リンクwww.nishimatsu.co.jp
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西松建設株式会社(にしまつけんせつ)は、東京都港区虎ノ門に本社がある総合建設業者準大手ゼネコン)である。東京証券取引所プライム市場に上場している。
概要

創業は1874年(明治7年)。ダムトンネルなど、大型官庁土木工事を得意とする。スーパーゼネコン5社に次ぐ準大手ゼネコンの一角として強固な財務体質を備え、同じく準大手ゼネコンで建築を主体とする戸田建設業務提携を結んでいる。創業から大型土木工事を得意としているが、近年では超高層ビル・マンション、学校・病院建設といった建築部門、不動産開発事業にも注力している。ビル建設では住友不動産からの発注が多い。また、東南アジアを中心に海外の工事受注も増加している。配当性向7割超。

2024年から西松建設・戸田建設奥村組の3社で土木工事におけるシステム連携・共同利用、データ連携・活用を共に行う共同研究開発に関する契約を締結し、「土木工事プラットフォーム」の構築を開始した[1]
沿革

1874年 - 西松桂輔が土木建築請負業を創業する。

1903年 - 西松桂輔、土木稼業からの引退し長男の光治郎に後進を譲る。

1906年 - 間組と39規定の締結。施工して得た工事利益を間組6分、西松4分の割合で分配する協力関係を密に築く。

1909年 - 南満州鉄道安奉線第8工区を間組と施工。安奉線は、工区延長23.4kmのうち5ヶ所の橋梁と4か所の隧道から成る難工事だった。

1914年

6月 - 西松工業所となる。

九州、宮崎線第12工区新線工事を単独で受注。三菱銀行京都支店から無担保融資もあり、工事完遂。


1919年

西松中興の工事「九州、肥薩線2、3、4、6、7、8、9、10甲、10乙、11工区」を受注。工事は1927年まで続いた。

四国、松山線全線を単独請負で施工。


1921年 - 鉄道50周年の記念式典において、西松光治郎の鉄道事業への貢献が評価され、第1回大臣表彰を受賞。

1926年 - 日本窒素(朝鮮水電)赴戦江発電所水路工事(第3工区)(第4工区)。厳冬期は零下40度になる極寒の難工事は、1928年に完成。

1927年 - 600万坪の壮大な工場敷地に朝鮮窒素(日本窒素)興南工場を新築。朝鮮窒素の本宮工場、阿吾地灰岩工場なども施工し、工事は1945年まで続いた。

1929年12月 - 合資会社西松組に改組する。

1931年 - 京都にあった本社を丸の内八重洲ビル5階に移転。赤坂台町の東京支店を閉鎖。

1932年 - 南満州鉄道の指定請負人に選定されたのを機に、満州大連出張所開設を開設。1937年には奉天出張所も開設。

1933年 - 鴨緑江支流の長津江に堤高約50mのダム(葛田里堰堤)を築き導水路トンネルを建設。冬には牛馬の涎すら凍る過酷な悪条件下、厳冬期も作業が続けられた。

1935年 - 西松光治郎死去。林米七が2代目社長に就任。

1937年

9月 - 新たに株式会社西松組を設立し、合資会社西松組を合併。

朝鮮鴨緑江水豊ダム着工。1943年に竣工。当時東洋一といわれたダム建設は、戦前の西松建設の代表工事。


1940年 - 満州西松組設立。

1946年 - 米軍青森県三沢基地工事受注。

1946年 - 日本初のロックフィルダム、岩手県石渕ダム施工。

1947年 - 林米七社長逝去。西松三好が3代目社長に就任。

1948年7月 - 商号を西松建設株式会社に変更する。

1952年 - 米軍8基地で航空燃料パイプライン敷設工事を施工。契約金額16億円にのぼる戦後初の高額受注案件。

1957年 - 愛知用水事業、牧尾ダムの施工。当時国内では2番目の規模のロックフィルダム。

1958年 - 日比谷地下駐車場の施工。建設業界で鋼製の切梁を初めて使用。

1960年

大手町合同庁舎建築工事の施工。

尼崎製鉄所堺製鋼所建築工事施工。1964年にBCS賞(建築業協会)を受賞。


1961年

2月 - 松栄不動産株式会社(連結子会社)を設立。

11月 - 東京証券取引所第二部に上場する。


1962年

虎の門本社ビル完成。東証2部に上場し、株式公開。

香港ロアシンマンダム工事施工。木本正次の小説「香港の水」のモデル。


1963年

8月 - 東京証券取引所第一部に変更。

タイ現地法人日泰建設設立。


1965年

蜂の巣砦、下筌ダム施工。

都営地下鉄1号線金杉橋工区で凍結工法を採用。


1967年 - 252レーンを有する世界最大のトーヨーボウル(東洋郵船)を施工。

1969年 - 京葉線羽田沖トンネルで、世界初の大断面泥水シールド工法で施工。

1971年

杉本三吾社長就任。

香港コンテナーヤード工事施工。本工事で採用した横桟橋工法が、英国土木学会海外賞を受賞。


1972年 - 迎賓館和風別館施工。

1973年 - 鍋立山トンネルの施工。20年間に亘る難工事の後に1992年に貫通。

1974年 - 青函トンネル千軒工区施工。

1976年 - 香港地下鉄1期工事の施工。PIP連続柱列杭の施工により、1981年に2度目の英国土木学会賞を受賞。

1977年 - 橘義夫社長就任。

1978年 - 本州四国架橋工事に参加。

1979年

香港電力火力発電所工事に参加。

新幹線上野寛永寺トンネル施工。

東京ユニオンチャーチ新築工事着工。


1982年 - 香港地下鉄3期工事施工。

1983年 - 柴田平社長就任。

1984年

シンガポール地下鉄工事を複数案件受注。

群馬県沼田地区で、関越自動車道永井川橋工事に於いて、当時日本一高い高さ76mの橋脚を「ジンポール式ジャンプアップ工法」を採用して施工。

タイで超高層ビルを施工。


1985年 - 1983年より福島県相馬郡飯館村で工事を進めてきた、真野ダムの定礎式を挙行。

1986年 - 和歌山県椿山ダムで労働大臣優良賞を受賞。

1987年

世界初の海上空港である関西新空港工事に参入。

山梨県大門ダム竣工、昭和61年度土木学会技術賞を受賞。


1988年

BOTプロジェクト香港テーツケントンネル受注。

日本最大級の重力式コンクリートダム、山形県月山ダム着工。

シンガポールで、丹下健三設計の東洋一の超高層ビル、大華銀行のUOBプラザ新築工事を施工。

山梨県雁坂トンネル着工。トンネルの全長は、6,626m。


1989年 - 草加駅東口再開発事業第2街区施設建築物新築工事着工。

1990年

アフリカジンバブエ共和国で、日本政府の無償資金援助による灌漑用の中規模ダムを4年間で6ヶ所建設。

警視庁新橋庁舎改築工事着工。


1991年

東京湾横断道路(アクアライン)工事に参加。

近畿自動車道吹田インターチェンジ工事着工。本工事は1993年度土木学会関西支部技術賞を受賞。


1992年

竹芝ふ頭再開発第3期建築工事(オフィス工区)着工。

香港新空港用造成工事受注。

NSSニューステージ札幌新築工事着工。


1994年 - ギニア共和国で無償資金援助によるコナクリ市飲料水供給計画に参加。

1995年

超電導リニア山梨実験線の高川トンネルの施工。

金山良治社長就任。


1997年

タイ国バンコク地下鉄工事の施工。

立花再開発の施工。


1998年 - 愛川衝撃振動研究所設立。

1999年 - 戸田建設と技術提携を締結。その後2009年10月より、技術研究開発を提携の主軸とした技術提携に変更。

2000年

神保町ジェイシティー東京の施工。

シールド工事の掘削実績182kmに達する。

MOVE HAT解体工法(昇降式養生と新しい解体方法)の開発により、安全性の確保と環境に配慮した高層ビルの解体工事を実現。同工法は、2003年に特許取得・商標登録。

可児市文化センターalaの施工。当建物は、2004年のBCS賞を受賞。


2001年

マダガスカル共和国で無償資金援助による水産流通施設整備工事に参加。

六本木ティーキューブの施工。


2003年

アンゴラ共和国で無償資金援助による国立病院改修、新設工事に参加。

国内初のPFI事業、江坂南パーキングサービスに参加。2005年に日本PFI協会の日本PFI大賞特別賞。また、第2回日本ベストパーキング特別賞を受賞。

PFI事業で、文部省所管の総合地球環境学研究所施設整備事業(京都)及び九州大学研究教育棟T施設整備事業を施工。


2005年

鈴鹿トンネル上り線竣工。当時の国内最大月進記録885.7mを達成。

沖縄米軍嘉手納基地家族住宅改修工事の施工。これ以降、三沢横田岩国の各基地で同様の工事を施工。

キャノン平塚新拠点計画A棟・B棟新築工事の施工。


2006年4月 - 執行役員制度の導入。

2009年 - 経営幹部が関わる外為法違反、政治資金規正法違反の不祥事が発生。経営刷新を図るため、近藤晴貞社長が就任し、新生西松の舵取りを担う。

2010年

3月 - 西松地所株式会社(連結子会社)を設立。

7月 - 支社制度に移行(関東土木支社、関東建築支社、北日本支社、西日本支社、九州支社)

2000年に事業協力者として選定された武蔵小杉駅南口地区西街区第一種市街地再開発事業の特定業務代行者として、再開発ビルの施工、保留床処分等の業務を担当。


2012年1月 - 玉川大学との産学連携事業がスタート。産学連携によるLEDのみを主光源として野菜生産をする事業を開始し、(株)サイテックファームを設立。

2014年8月 - 旧本社ビル(西松ビル)を含む周辺地域の再開発に伴い、本社を虎ノ門ヒルズ森タワーへ仮移転[2]

2015年

4月 - 新コーポレートスローガン「未来を創る現場力」[3]を制定。


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