破産した、大阪市住吉区に本社のあったニシマツコーポレーション(旧社名:西松建設)とは異なります。
西松建設株式会社
Nishimatsu Construction Co., Ltd.
本社・虎ノ門ヒルズビジネスタワー
種類株式会社
市場情報東証プライム 1820
西松建設株式会社(にしまつけんせつ)は、東京都港区虎ノ門に本社がある総合建設業者(準大手ゼネコン)である。東京証券取引所プライム市場に上場している。 創業は1874年(明治7年)。ダムやトンネルなど、大型官庁土木工事を得意とする。スーパーゼネコン5社に次ぐ「準大手Aゼネコン」の一角として強固な財務体質を備え、同じく「準大手A」の建築を主体とする戸田建設との業務提携を結んでいる。創業から大型土木工事を得意としているが、近年では超高層ビル・マンション、学校・病院建設といった建築部門、不動産開発事業にも注力している。ビル建設では住友不動産からの発注が多い。また、東南アジアを中心に海外の工事受注も増加している。配当性向7割超。
概要
沿革
1874年 - 西松桂輔が土木建築請負業を創業する。
1903年 - 西松桂輔、土木稼業からの引退し長男の光治郎に後進を譲る。
1906年 - 間組と39規定の締結。施工して得た工事利益を間組6分、西松4分の割合で分配する協力関係を密に築く。
1909年 - 南満州鉄道安奉線第8工区を間組と施工。安奉線は、工区延長23.4kmのうち5ヶ所の橋梁と4か所の隧道から成る難工事だった。
1914年
6月 - 西松工業所となる。
九州、宮崎線第12工区新線工事を単独で受注。三菱銀行京都支店から無担保融資もあり、工事完遂。
1919年
西松中興の工事「九州、肥薩線2、3、4、6、7、8、9、10甲、10乙、11工区」を受注。工事は1927年まで続いた。
四国、松山線全線を単独請負で施工。
1921年 - 鉄道50周年の記念式典において、西松光治郎の鉄道事業への貢献が評価され、第1回大臣表彰を受賞。
1926年 - 日本窒素(朝鮮水電)赴戦江発電所水路工事(第3工区)(第4工区)。厳冬期は零下40度になる極寒の難工事は、1928年に完成。
1927年 - 600万坪の壮大な工場敷地に朝鮮窒素(日本窒素)興南工場を新築。朝鮮窒素の本宮工場、阿吾地灰岩工場なども施工し、工事は1945年まで続いた。
1929年12月 - 合資会社西松組に改組する。
1931年 - 京都にあった本社を丸の内八重洲ビル5階に移転。赤坂台町の東京支店を閉鎖。
1932年 - 南満州鉄道の指定請負人に選定されたのを機に、満州大連出張所開設を開設。1937年には奉天出張所も開設。
1933年 - 鴨緑江支流の長津江に堤高約50mのダム(葛田里堰堤)を築き導水路トンネルを建設。冬には牛馬の涎すら凍る過酷な悪条件下、厳冬期も作業が続けられた。
1935年 - 西松光治郎死去。林米七が2代目社長に就任。
1937年
9月 - 新たに株式会社西松組を設立し、合資会社西松組を合併。
朝鮮、鴨緑江水豊ダム着工。1943年に竣工。当時東洋一といわれたダム建設は、戦前の西松建設の代表工事。
1940年 - 満州西松組設立。
1946年 - 米軍青森県三沢基地工事受注。
1946年 - 日本初のロックフィルダム、岩手県石渕ダム施工。
1947年 - 林米七社長逝去。西松三好が3代目社長に就任。
1948年7月 - 商号を西松建設株式会社に変更する。
1952年 - 米軍8基地で航空燃料パイプライン敷設工事を施工。契約金額16億円にのぼる戦後初の高額受注案件。
1957年 - 愛知用水事業、牧尾ダムの施工。当時国内では2番目の規模のロックフィルダム。
1958年 - 日比谷地下駐車場の施工。建設業界で鋼製の切梁を初めて使用。
1960年
大手町合同庁舎建築工事の施工。
尼崎製鉄所堺製鋼所建築工事施工。1964年にBCS賞(建築業協会)を受賞。
1961年
2月 - 松栄不動産株式会社(連結子会社)を設立。
11月 - 東京証券取引所第二部に上場する。
1962年
虎の門本社ビル完成。東証2部に上場し、株式公開。
香港ロアシンマンダム工事施工。木本正次の小説「香港の水」のモデル。
1963年
8月 - 東京証券取引所第一部に変更。
タイ現地法人日泰建設設立。
1965年
蜂の巣砦、下筌ダム施工。
都営地下鉄1号線金杉橋工区で凍結工法を採用。
1967年 - 252レーンを有する世界最大のトーヨーボウル(東洋郵船)を施工。
1969年 - 京葉線羽田沖トンネルで、世界初の大断面泥水シールド工法で施工。
1971年
杉本三吾社長就任。
香港コンテナーヤード工事施工。本工事で採用した横桟橋工法が、英国土木学会海外賞を受賞。
1972年 - 迎賓館和風別館施工。
1973年 - 鍋立山トンネルの施工。20年間に亘る難工事の後に1992年に貫通。
1974年 - 青函トンネル千軒工区施工。
1976年 - 香港地下鉄1期工事の施工。PIP連続柱列杭の施工により、1981年に2度目の英国土木学会賞を受賞。
1977年 - 橘義夫社長就任。
1978年 - 本州四国架橋工事に参加。
1979年
香港電力火力発電所工事に参加。
新幹線上野寛永寺トンネル施工。
東京ユニオンチャーチ新築工事着工。
1982年 - 香港地下鉄3期工事施工。
1983年 - 柴田平社長就任。