本名が西村友美である書道家の「國重友美」とは別人です。
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出生名西村 知美
別名トロリン[1]
生誕 (1970-12-17) 1970年12月17日(53歳)
出身地 日本・山口県宇部市[1]
学歴堀越高等学校
職業女優・タレント
活動期間1985年 -
レーベル東芝EMI/イーストワールド
事務所芸映
西村 知美(にしむら ともみ、1970年12月17日[2] - )は日本の女優・タレント。また、芸能界屈指の「資格マニア」としても知られている[3]。本名:西尾 知美(にしお ともみ、旧姓:西村)。身長153センチメートル、血液型はO型。夫は元タレントの西尾拓美。山口県宇部市出身[2]。堀越高等学校卒業。キャッチコピーは「一秒ごとのきらめき・・・知美」。 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2021年6月) 21歳の時に車の免許を取りたいと所属事務所に言ったところ、当時アイドル活動中で事故の心配もあってスタッフから大反対された[3]。
略歴
1984年11月、姉が写真を応募したことにより、雑誌『Momoco』のモモコクラブに桃組出席番号922番として掲載される[1]。
1985年4月、同雑誌より主催された『第1回ミス・モモコクラブ』でグランプリを受賞。杉浦幸、島田奈美と共に桃組三人娘と呼ばれた[1]。
1986年3月に映画『ドン松五郎の生活』で女優デビューし、同時に主題歌「夢色のメッセージ」でアイドル歌手としてもデビュー[1]。オリコン初登場2位を記録[4]。
1986年12月、「わたし・ドリーミング」で第28回日本レコード大賞・新人賞を受賞[1][注 1]。
1988年、郷里の山口県知事選挙の啓発キャンペーンキャラクターに起用される。
1990年代に入ると、『さんまのからくりTV』などバラエティ番組に数多く出演。
1996年ACジャパンの手話CM「これだけおぼえてください」に出演。
1997年(26歳)、元タレントでCHA-CHAのメンバー、現在は料理人をしている西尾拓美と結婚[1]。また、この年1987年から10年間にわたり薬物乱用防止運動(ダメ。ゼッタイ。)のキャンペーンガール(結婚後はキャンペーンレディ)を務めたことから園遊会に招待された。
2002年、日本テレビ主催『24時間テレビ』では、ホノルルマラソンの経験も活かし、チャリティーマラソンランナーとなる[1]。詳細は「24時間テレビ 「愛は地球を救う」#チャリティーマラソン」を参照
2003年8月2日、苦悩の時期を乗り越え、長女を出産した。
2009年、7月、「ブログって何ですか」というタイトルのブログを開設(現在は削除)。
2012年2月28日、南野陽子・森口博子との3人組ユニット「Blooming Girls」の結成を発表した[1][5][6]。
2012年6月13日「Blooming Girls」としてデビューシングル「Knock!! Knock!! Knock!!」を発売。
人物・エピソード
親は公務員で、姉は1歳上[7]。
愛称は「知美ちゃん」「トロリン」[1]。トロリンとは、動きが遅く、給食もなかなか食べ終わらないなど動きが遅かったことから「何をするのもトロいから“トロリ”」と言われていたことからによる[7]。ほんわかとした天然キャラが売り[1]。持ち前のバイタリティを活かしてバラエティ番組でも活躍した[1]。
チャームポイント
「知美」の名前の由来は、出生当時に地元に巡業に来ていた歌手・沢知美に因む[8]。
中学時代からチェッカーズの熱狂的なファンであり、ファンクラブにも入っていた[9]。2019年8月頃には同じチェッカーズファンだった大西結花とともに藤井フミヤのコンサート『FUMIYA FUJII ANNIVERSARY TOUR 2019』を見に行き、楽屋でフミヤに会っている[10]。
本人曰く、中学生時代まで内気で恥ずかしがり屋で、授業中先生に当てられるなど何かというと赤面することから「トマトちゃん」、おとなしく暗いことから「ネクラちゃん」と言われていたという[7]。
アニメ・漫画・ゲームが好きで、「アニメージュ」でコラム「あにめってらぶりー」を担当していた。特に好きな作品は『うる星やつら』で、そのファンクラブにも入っていた。デビュー前に「読者脚本コンテスト」に応募したほど(20名ほどの候補作に残り、雑誌に名前も掲載された。応募脚本はエッセイ本『夢幻童子』に収録)。また、ファンクラブ会員向けのシナリオのプレゼントが当たらず、自分で台詞を書き起こし、音を消したビデオに自分の声を当てるということもしていた[7]。1991年の劇場版作品『うる星やつら いつだってマイ・ダーリン』では念願が叶い、女の子C役で声の出演を果たした(但し、西村の名前はクレジットされず、愛称であるトロリン名義)。他の高橋の作品も全て好んでおり短編集なども詳しい。中学でテニス部に入ったのも『新・エースをねらえ!』の影響だったと話している[7]。
デビュー当初は本人の憧れであり、系列事務所の先輩でもあった菊池桃子のイメージを踏襲する形で、菊池桃子の妹分として売り出された。菊池には大変可愛がってもらい、『夜のヒットスタジオ』で共演した際にはイヤリングをもらったほか、デビュー5周年の記念にサインを変更した際も菊池に考えてもらったという[11]。プライベートでも交流があり、料理のレシピと教えてもらうなど親しくしているという[12]。
1991年のある日、ドラマ撮影が夕方に終わる予定が昼に終了したため帰宅し、翌日までオフだと思いのんびり過ごしていた。その日の深夜にテレビを見ると『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』(TBS)の生放送で司会を務めていた三宅裕司が西村の名前を呼んでいた。ドラマ撮影後、この番組のゲスト出演のスケジュールが入っていたことをすっかり忘れていて、マネージャーのポケベルに連絡しても繋がらず、急いでタクシーでスタジオに入り番組エンディングだけ出演した。最後に番組の全体の感想を聞かれたが、当時ワンセグなどないので移動の最中は番組を見ておらず何も答えられなかったことを本人は覚えており、2017年の時点でも思い出す度に反省するという[1](2020年3月21日放送の『有吉反省会SP』(日本テレビ)でもこのエピソードが「生放送すっぽかし事件」として採り上げられた)[13]。
堀越学園時代、仲が良かったのは渡辺美奈代、酒井法子、後藤恭子、沢田玉恵、斉藤満喜子。芸能活動が忙しかったので休みは半年に1回しかなかった[12]。当時の夕食はロケ弁か、焼肉かラーメンに限られていた[12]。ドラマの撮影で連日休むので単位の取得のために土日も学校に登校していた[12]。
デビューから間もない頃、クリスマスに杉浦幸、島田奈美、渡辺美奈代、佐野量子、斉藤満喜子とともに当時の自宅で女子会をした[12]。
20代前半の頃、伊藤智恵理と共通の友人を多く集めて飲食店で夕方から翌朝10時まで過ごした思い出がある。西村も伊藤も酒が飲めない下戸であるが、おしゃべりに興じる食事会を開くことが好きであった。また、この会を通じて色々なジャンルの人と交流をしたことが勉強になったと当時を振り返っている[12]。
若手時代、挨拶や楽屋のルールが厳しかったので座る場所や話し方には注意をしていたが、優しい先輩に巡り合えたことや本気で怒って注意してくれる先輩には感謝している[12]。
火を使う撮影があった時、火傷したことを黙っていたら、先輩が気付いて「我慢したらもっと皆に迷惑かかる事になるからキチンと言いなさい!!」と叱ってすぐにトイレへ行って水で冷やしてくれた[12]。
移動中に目立つ行動をしたため学生たちに注目されて着替えができなくなり、先輩が「こういう時はバレずに移動しないとダメだよ!!」と叱りながら、自らバスタオルで西村を隠して着替えを手伝ってくれた[12]。
自分が極度の心配性ということで「自分に何かあったときに対処できるため」として手話技能検定2級、保育ナチュラリスト、温泉ソムリエマイスター、花火鑑賞士、紅茶コーディネーター、カッパ捕獲許可証、そして2020年にも接客スペシャリスト、認知症介助士の資格を取得するなど、合わせて53の資格を取得しているという[14]。2023年9月時点では55個[15]。(後述)
性格について「探究心が強く、興味を持つとパッと動く行動派だが、熱しやすく冷めやすい」と自己評価している[16]。高校卒業後に習い事としてダンスやピアノ、英会話などに挑戦したものの、これらは資格取得とは違って終わりがないため、途中で飽きて長続きしなかったとのこと[16]。
好きなことは、温泉、花火、コーヒー、声優、オセロ、タイ古式マッサージを受けること[注 2]。
苦手なことは、料理、乗り物などの操縦[3]。ただし車の免許は1か月半という短期間で取得し、1級小型船舶操縦免許は一発合格だった[注 3]。また、アイドル時代から歌手活動を行ってきたが、本人によると「音階というものがよく分からないので、歌も楽器も下手」と自認している[17]。
資格に関するエピソード