西村朗
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西村晃 (経済評論家)」あるいは「西村章」とは別人です。
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西村 朗
Nishimura Akira
生誕 (1953-09-08) 1953年9月8日
出身地 日本大阪府大阪市
死没 (2023-09-07) 2023年9月7日(69歳没)
日本東京都
学歴東京芸術大学大学院
ジャンル現代音楽
職業作曲家
ポータル クラシック音楽

西村 朗(にしむら あきら、1953年9月8日[1] - 2023年9月7日[2])は、日本現代音楽作曲家東京音楽大学教授。エリザベート王妃国際音楽コンクール作曲大賞、尾高賞など受賞多数。
人物・来歴

大阪市城東区自転車店を営む父、大阪市城東区役所職員の母の息子として生まれる。幼い頃の夢は比叡山僧侶になることであったが、小学校5年のとき入った放送部においてシューベルトの『軍隊行進曲』に触れたことでクラシック音楽に惹かれ作曲家を志す。大阪では下村米太郎・大橋博・山田光生らに教えを受けた後、大阪府立旭高等学校時代は池内友次郎に師事。東京藝術大学大学院まで矢代秋雄野田暉行に師事。1980年昭和55年)修了。

尚美学園講師などを経て、東京音楽大学・同大学大学院にて教授、東京藝術大学非常勤講師を歴任。

2003年平成15年)4月から2009年(平成21年)3月までNHK-FM現代の音楽」の番組担当を務めたのち、2009年(平成21年)4月から2012年(平成24年)3月の番組終了までNHK教育N響アワー」の司会を務めた。

2015年(平成27年)4月からは再びNHK-FM「現代の音楽」の解説を担当し、晩年の2023年7月収録分(同年9月10日放送)まで務めた[3]武満徹作曲賞2007年度、ガウデアムス作曲賞2009年度などの多数のコンペティションの審査員も務めた。

2000年(平成12年)よりいずみシンフォニエッタ大阪にて音楽監督を、2010年(平成22年)より草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル音楽監督を務めた。

作風は一貫して旋法的感覚に依拠した。かつて「弦楽四重奏のためのヘテロフォニー」が初演されたとき、その冒頭の音選択にあらためて強い違和感を覚え、直ちに旋法的なものに書き直したほどである[4]近藤譲と並んで自作の音盤化は豊富な方だが、西村の場合も「紅蓮」や「汨羅の淵より」のようにディスコグラフィーに収録されていない重要作も数多い。晩年は吹奏楽の世界へ新作を書き下ろした[5]

2023年(令和5年)9月7日午後8時12分、右上顎癌のため東京都内の病院で死去。69歳没[2][6]。新しく作曲を手掛けていた全3楽章構成のピアノ協奏曲「神秘的合一」のうち先に書かれた第2楽章が遺作となった[7]
受賞歴

1974年 -
日本音楽コンクール作曲部門第第1位[1]

1977年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール作曲部門大賞[1]ルイジ・ダルラピッコラ作曲賞[1]

1978年 - 舞台芸術創作奨励特別賞

1988年・1992年・1993年・2008年・2011年・2022年 - 尾高賞

1990年 - 中島健蔵音楽賞[1]

1991年 - 京都音楽賞〔実践部門賞〕、レコード・アカデミー賞

1994年 - 現代芸術振興財団第1回日本現代芸術振興賞

2001年 - エクソンモービル音楽賞

2002年 - 第3回別宮賞

2005年 - 第36回サントリー音楽賞[1]・第47回毎日芸術賞[1]

2008年 - ミュージュック・ペンクラブ音楽賞

2013年 - 紫綬褒章受章[8]・大阪市市民表彰

主要作品

現在は全音楽譜出版社の専属作曲家である。かつては音楽之友社からも数作発売されていた。
管弦楽曲

リムーヴス・フォア・オーケストラ

二人のソプラノと管弦楽のためのセレモニー

オーケストラのための前奏曲

管弦楽のための変容

管弦楽のためのファンファーレ

管弦楽のための礼楽

交響曲第1番

交響曲第2番「3つのオード」

交響曲第3番

2台のピアノと管弦楽の
ヘテロフォニー

永遠なる渾沌の光の中へ

星曼荼羅

鳥のヘテロフォニー

光の鳥

メロスの光背

黄昏の幻影

光の雅歌

モノディ<単声哀歌>

蓮華化生

光と影の旋律

光のマントラ

幻影とマントラ

ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲

オーケストラのための<蘇莫者>

桜人

協奏曲

ピアノ協奏曲第1番「紅蓮」

ピアノ協奏曲第2番

ピアノ協奏曲「シャーマン」

ピアノと室内オーケストラのための「流れ?闇の訪れたあとに」

ピアノとオーケストラのための「神秘的合一」(遺作
[9]

フルートと管楽と打楽器のための協奏曲

ティンパニ協奏曲

ファゴット協奏曲

タパス ?ファゴット、打楽器と弦楽のための協奏曲

クラリネット協奏曲「カヴィラ <天界の鳥>」

クラリネットと弦楽のための協奏曲「第一のバルド」

アルトサクソフォン協奏曲「エシ・イン・アニマ(魂の内なる存在)」

ヴァイオリン協奏曲第一番「残光」

ヴァイオリン協奏曲第二番「秘密?マニの光」


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