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出典検索?: "西村和彦"
「西和彦」とは別人です。
にしむら かずひこ
西村 和彦
本名西村 和彦
生年月日 (1966-08-21) 1966年8月21日(57歳)
出生地 日本・京都府京都市伏見区
身長175 cm
血液型O型
職業俳優
ジャンルテレビドラマ・映画・舞台
活動期間1987年 -
配偶者立原麻衣(1996年 - 2005年1月)
國重友美(2006年5月 - 2015年[1])
事務所ソニー・ミュージックアーティスツ
公式サイト西村和彦公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ
『超獣戦隊ライブマン』
『同窓会』
『警視庁鑑識班』シリーズ
『仮面ライダーゴースト』
『おちょやん』CM
大正製薬(リポビタンD)
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西村 和彦(にしむら かずひこ、1966年8月21日[2][3] - )は、日本の俳優。京都府出身[2][3]。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。身長175cm、体重60kg。血液型はO型。特技はハンドボール、ラグビー、空手、水泳、乗馬、体操。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒業、日本大学芸術学部映画学科中退。 実家は伏見稲荷大社の境内(稲荷山山腹)にある、両親と兄が経営する四ツ辻茶屋『仁志むら亭』(高校までは山の上から通学していた)[4]。 中学ではソフトテニス部、高校時代はハンドボール部に所属していた。後年もハンドボールでは40歳以上の選手で結成したマスターズチーム「GHBP ARES」に入ってプレーしている[5]。 高校時代に役者になることを志し、大学を中退。夏木陽介が主催する「夏アクターズスタジオ」の一期生となる。 1988年、『翼をください』で本格デビューし、自身初の連続ドラマ『超獣戦隊ライブマン』の大原丈 / イエローライオン役以降、数多くの作品に出演する[2][3]。 1991年、「ファイト、一発!」でお馴染みの大正製薬(リポビタンD)のCMキャラクターに起用され、全国に名が知れ渡る[2][3]。 1993年、『同窓会』では同性愛者の青年役を演じきり、世間に強烈なインパクトを残す。 1996年に女優、立原麻衣と結婚するが、2005年1月に離婚。なお、立原との間に子供はいない。 西村と國重友美は2005年夏にテレビ番組の共演で知り合い、國重の個展に西村が訪れるなどして急接近。2006年5月に結婚した。2008年1月24日に第一子(男児・2,915g)、2009年2月20日に第二子(女児・2,355g)が誕生。2015年冬に國重と離婚し、二人の子供の親権は西村が持つことになった。 芝居に対する姿勢は役柄に合わせて「カメレオンのように変える主義」で、「二枚目・三枚目などの認識はない」と述べている。 バラエティー番組には2000年代後半以降に積極的に出演するようになったが、20代から30代のころは「役者は素を晒すべきではない」という自身のこだわりを貫いていたため出演がなかった。子供をもうけてから「役者である前に一人の人間だ」と考えを改めた。 京都市役所の推進する「京都創生」に提言を寄せている1人。 やしきたかじんの親戚筋にあたる。 『ライブマン』の前年に『仮面ライダーBLACK』の南光太郎 / 仮面ライダーBLACK役のオーディションを受けていたが落選した[6][3]。 『ライブマン』の初期メンバーは既に知名度のあった嶋大輔と森恵が起用され、西村のみが新人であった[7]。東映プロデューサーの鈴木武幸は、西村が「2人をいつか追い越す」と語っており、役に真剣に取り組んでいたと証言している[7]。 『ライブマン』で共演した嶋大輔は、当時の西村は「熱血いけいけタイプの新人俳優」であったと評し、西村が果敢にアクションに挑戦していたことから自身も負けじとアクションに挑んだと述べている[8]。また嶋は、厳しく怒鳴る監督の東條昭平が西村の天敵であったと証言している[8]。東條は、西村について「よかった」と評しており、前作『光戦隊マスクマン』にゲスト出演したときから着目していたことを語っている[9]。 鉄道ファンでもある。好きな車両は新幹線500系電車で、台車や蒸気機関車のコンプレッサーの音などが好きであると発言している[10]。子どものころは地元の梅小路蒸気機関車館によく行っていたといい[10]、2016年に梅小路蒸気機関車館と交通科学博物館(大阪市)の後継施設として誕生した京都鉄道博物館の開業記念式典にゲストとして出席している[11][12]。
来歴
人物・エピソード