西村京太郎
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西村 京太郎
(にしむら きょうたろう)
誕生矢島 喜八郎(やじま きはちろう)
[1]
(1930-09-06) 1930年9月6日
日本東京府荏原郡荏原町
(現・東京都品川区
死没 (2022-03-03) 2022年3月3日(91歳没)
日本神奈川県足柄下郡湯河原町
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小説家

推理作家

国籍 日本
最終学歴東京都立電機工業学校
活動期間1961年 - 2022年
ジャンル推理小説
代表作

天使の傷痕

寝台特急殺人事件

終着駅殺人事件

主な受賞歴

オール讀物推理小説新人賞(1963年)

江戸川乱歩賞(1965年)

日本推理作家協会賞(1981年)

日本ミステリー文学大賞(2005年)

吉川英治文庫賞(2019年)

デビュー作「黒の記憶」(1961年)[注釈 1]
配偶者矢島瑞枝
影響を受けたもの

ウィリアム・アイリッシュ暁の死線[2]

影響を与えたもの

山村美紗

公式サイト ⇒www.i-younet.ne.jp/~kyotaro/
ウィキポータル 文学
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西村 京太郎(にしむら きょうたろう、1930年9月6日 - 2022年3月3日)は、日本推理小説家。本名は矢島 喜八郎(やじま きはちろう)[3]。人気シリーズである十津川警部シリーズ[1]や、トラベルミステリーで知られる。
人物

東京府荏原郡荏原町(現東京都品川区)生まれ[4]国民学校卒業後、東京府立電気工業学校(東京都立鮫洲工業高等学校の前身[注釈 2])に進むが中退東京陸軍幼年学校に挑戦。100倍の競争率を突破して入学するが、在学中の15歳で終戦を迎えたため[5]、工業学校へ復学し、卒業後、臨時人事委員会(後の人事院)に就職する[6]。11年勤務後に退職し、トラック運転手保険外交員私立探偵警備員などを経て作家生活に入る。

初期は社会派推理小説を書いていた[注釈 3]。じきにスパイ小説[注釈 4]クローズド・サークル[注釈 5]パロディ小説[注釈 6]時代小説[注釈 7]など多彩な作品群を発表する。中でも海難事故もの(西村本人が海が好きだったため。また、十津川警部は大学ヨット部出身という設定。)[注釈 8]誘拐もの(あらゆる犯罪の中で最も知能を要するので推理小説にふさわしいと考えたため)[注釈 9]が多かった。

日本中にトラベルミステリーというジャンルを示すきっかけとなったヒット作『寝台特急殺人事件』から全面的にトラベルミステリーに移行する。西村が考えた、鉄道などを使ったトリックやアリバイ工作は、そのリアリティが功を奏し根強い人気がある。

シリーズキャラクターである十津川警部左文字進などを生み出し、その作品の多くがテレビドラマ化されている。

年6度の取材旅行で12社分の小説を書くという執筆スタイルを続け[7]、オリジナル著作は2019年3月時点で619冊[8]。本人によれば最高年収は7億円だという[9]。その後も新刊の刊行は続いており、累計発行部数は2億部を超える[10]。2017年には「できれば東京スカイツリーの634メートルを、数字で1冊超える635冊まで書きたい。冗談だが」と語っていた[11][注釈 10]
エピソード

西村京太郎というペンネームの由来は、人事院時代の友人の苗字と、京太郎は「東京出身の長男」という意味から[12]。以前は、江戸川乱歩賞などに応募する際、黒川俊介や西崎恭というペンネームも使用していた。西崎恭名義で応募した『宇宙艇307』が早川書房SFコンテスト第3回(1964年)で努力賞として入賞している。

原稿を執筆する際にはワープロなどは使わず全て手書きで、月に平均で400枚ほど執筆していた[13]。なお、生原稿が西村京太郎記念館に展示されている。

府立工業学校を中退してまで陸軍幼年学校に挑戦したのは「兵役をこなして二等兵でこき使われるよりはエリート軍人になって楽をしよう」と考えたため。実際に食事は良かったが、規律も訓練も厳しかったという。入学の5か月後には日本は降伏し戦争は終わった[7][11]。臨時人事委員会在職中の19歳(1949年)の時に、職場の同僚達が発行していた同人誌『パピルス』に参加。担当は製本が主だったが、短編『√2の誘惑』を一度だけ書き、これが小説家・西村としての原点だろうかと述べている[6]

1975年頃、長編の時代小説『無名剣、走る』を徳島新聞に連載している。長編の時代小説としては、唯一である。鉄道ミステリーが大ヒットしたことで、出版社からは鉄道ミステリーの依頼ばかりが舞い込むようになり、他のジャンルの作品を書く余裕がなくなってしまったと語っている。本人は江戸時代を扱った時代小説を書きたいと長年希望しているが、どの出版社に話を持ちかけても「いいですね。でも、それは他の社で」と言われ、断られてしまうという[14]

山村美紗とは、家族ぐるみの交流があった。新進の作家だった西村に山村がファンレターを送ったことで交流が始まり、西村が京都に住んでいた頃、山村と共同で大きな旅館を買い取り、両宅が鍵つきの渡り廊下で繋がっていた[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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