西本 聖千葉ロッテマリーンズコーチ時代(2012年)
基本情報
国籍 日本
出身地愛媛県松山市
生年月日 (1956-06-27) 1956年6月27日(67歳)
身長
体重176 cm
81 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1974年 ドラフト外
初出場1976年4月15日
最終出場1993年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
愛媛県立松山商業高等学校
読売ジャイアンツ (1975 - 1988)
中日ドラゴンズ (1989 - 1992)
オリックス・ブルーウェーブ (1993)
読売ジャイアンツ (1994)
コーチ歴
阪神タイガース (2003)
千葉ロッテマリーンズ (2010 - 2012)
オリックス・バファローズ (2013 - 2014)
ハンファ・イーグルス (2015)
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西本 聖(にしもと たかし、1956年6月27日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(投手)・野球解説者、プロ野球指導者。
江川卓と共にエースとして巨人の一時代を築き、巨人退団後は中日、オリックスでもプレーした。選手生活晩年に巨人へ復帰して引退。エース級としての活躍に加え、星飛雄馬ばりの左足を高く上げるダイナミックな投球フォームでも人気があった[1]。また投手最多タイ記録となるゴールデングラブ賞を8回受賞している。
引退後は野球解説者を務めていたが、2003年には阪神の一軍投手コーチを務めた。阪神のコーチ辞任後は再び野球解説者を務めていたが、2010年よりロッテのコーチとして現場に復帰し、2013年よりオリックス・バファローズの投手コーチ兼バッテリーコーチ、育成チーフコーチ、2015年はハンファ・イーグルスの一軍投手コーチを務めた。
5兄弟の末弟で、三兄に広島に所属していた元プロ野球選手の西本明和[注 1]、次兄に二所ノ関部屋・片男波部屋に所属していた元大相撲力士の玉松山(最高位三段目)がいる。また、長兄は愛媛県立松山商業高等学校の選手として活躍し、四兄は第51回全国高等学校野球選手権大会優勝メンバーとなる正一塁手。 愛媛県松山市沖に浮かぶ、興居島に生まれ育つ。あまり裕福とは言えない家庭環境であった。甲子園で名を馳せた実兄の西本明和は本来、早稲田大学で六大学野球に出場するつもりであったが急遽広島東洋カープに入団し、プロ野球選手として家計を支え、まだ小学生だった聖の面倒を見た。「聖を自分の手元において野球をさせたい」と瀬戸内海を挟んだ広島商へ入学させるつもりでほぼ決まりかけていたが、末っ子の広島商入りを父が猛反対し、地元の松山商に入れた[2]。広島商に入っていれば1年上が達川光男らで、甲子園で江川卓と投げ合っていた可能性もあったと言われていた[2]。 松山商では1972年、1年生の時に夏の甲子園予選北四国大会準決勝に進出。植上健治のいた高松商と対戦し、リリーフとして登板するが0-4で敗退。エースとなった翌1973年夏は、県予選準々決勝で南宇和高の藤田学投手と投げ合い0-2で完封負け。1974年夏の県予選2回戦北条高戦で7回コールドゲームながらノーヒットノーランを達成している。
経歴
生まれ
高校時代