発行している新聞については「西日本新聞」をご覧ください。
株式会社西日本新聞社
THE NISHINIPPON SHIMBUN CO.,LTD.西日本新聞会館(西日本渡辺ビル、福岡市中央区)
低層階に大丸福岡天神店が入居
種類株式会社
機関設計監査役設置会社[1]
本社所在地 日本
〒810-8721
福岡県福岡市中央区天神一丁目4番1号
西日本新聞会館
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度35分19.8秒 東経130度24分4.1秒 / 北緯33.588833度 東経130.401139度 / 33.588833; 130.401139
株式会社西日本新聞社(にしにっぽんしんぶんしゃ、英: THE NISHINIPPON SHIMBUN CO.,LTD.)は、福岡県福岡市に本社を置く日本の新聞社である。北海道新聞社、 中日新聞社と共にブロック紙3社連合を結成している。
コーポレート・スローガンは「わたしたちの九州」。新聞販売店の愛称は「西日本新聞エリアセンター」。目次 西日本新聞とスポーツ紙の西日本スポーツ(西スポ)を発行している。1992年にフクニチ新聞が事実上廃刊して以降は、福岡県全体をカバーする唯一の地元新聞(事実上の県域紙)となっており、同県のほか、佐賀県・長崎県・大分県・熊本県の北部九州5県にネットワークを持つ。このため、新聞の区分としてはブロック紙に位置づけられ、中日新聞社、北海道新聞社と合わせた「ブロック紙3社連合」を形成している。福岡市を中心とした福岡都市圏での購読率が特に高く、北九州市や久留米市等を含めた、福岡県全域の発行部数シェアにおいても、読売新聞と首位を激しく争っている(北九州都市圏においては毎日新聞をはじめとした全国紙の後塵を拝している)。 九州全県の民放局に出資する中、株式会社テレビ西日本(TNC)と特に深い関係に在ると言われるが、株式会社テレビ長崎(KTN)や、TNCと同じく福岡県を放送対象地域とする株式会社TVQ九州放送の方が、議決権の総数に対する議決権の比率が高い[4]。 スポーツ面のみならず地元の福岡ソフトバンクホークス中心の報道姿勢が目立つ。西日本スポーツはイラク戦争開戦時でさえホークスのオープン戦の記事を一面トップに持ってきたほどである(ただ一般紙ではなくスポーツ新聞だからスポーツ記事が一面でも特段特筆性はないという見方もある)。また、アビスパ福岡のユニフォームスポンサーを2011年シーズン途中から務めている(2011年は背中、翌年はパンツ)。 高校生による武道の大会である金鷲旗高校柔道大会、玉竜旗高校剣道大会を主催することで全国的に知られており、「武道の盛んな九州」のイメージ定着に一役買っている。 古くから産経新聞社(フジサンケイグループ)とは同社が発行する産経新聞とは主義主張が正反対であるが、販売面などで協力関係を結んでおり、福岡県や佐賀市の一部西日本新聞販売所で産経新聞を扱っているほか、かつてはサンケイスポーツと西日本スポーツとで中央競馬の記事など一部紙面協力関係にあった。西日本新聞グループのテレビ西日本(TNC)はかつて日本テレビ(日テレ)系列であったが、1960年代に読売新聞の九州進出(読売新聞西部本社設置)に反発して、テレビ西日本は日テレ系列からフジテレビ系列へと移行した。また、当時から産経新聞の九州総局も西日本新聞会館内にあったが、2009年4月1日に九州・山口本部(現・西部本部)に昇格した際、オフィスが渡辺通りにあるサンライトビルに移転し、同年10月1日から、九州・山口特別版としてリニューアル発刊後は、毎日新聞西部本社の印刷工場(毎日新聞九州センター鳥栖印刷工場、佐賀県鳥栖市)に印刷を委託している。他方、2013年4月2日からは、中央競馬の記事についても西スポの紙面提携は同じブロック紙である中日スポーツと結ぶ[5]等、提携関係に変化が見られる。 また、2010年から2011年に掛け、佐賀新聞社からの印刷を、当社グループの印刷会社が受託していた。佐賀新聞本社内の印刷室の改修や輪転機の入替に伴うもの。 かつては山口県・宮崎県・鹿児島県・沖縄県[6]でも発行されていたが、広告収入の落ち込みや製作費上昇などを受け、山口県と沖縄県については2009年3月31日限りで、事業エリアから外した(総局の閉鎖及び新聞の発行・販売打ち切り)。その一方で、2010年10月1日付で北九州支社を「北九州本社」に格上げし、北九州地域での取材力・販売強化を図っている[7]。また、宮崎県や鹿児島県に至っては、地元県紙や大手全国紙に比べ、発行部数が極端に少ない為、2010年から宮崎・鹿児島両県の県域地方版を統合して「南九州ワイド版」に、番組表も両県同一の内容に再編したが、2018年3月31日をもって、西日本新聞及び西日本スポーツの両県での発行・販売を打ち切り、延岡市と薩摩川内市にある支局も閉鎖された[8]。 ここでは会社の歴史について述べる。発行している新聞の歴史は各項を参照のこと。
1 概要
2 社史
2.1 記念誌
3 ネットワーク
3.1 本社
3.2 北九州本社
3.3 支社
3.4 総局
3.5 支局
3.6 海外支局
3.7 印刷工場
4 発行している新聞
5 主なグループ会社
6 主なイベント
6.1 主催・共催
6.2 後援
7 西日本新聞社が出資している主な放送事業者
7.1 福岡県
7.2 佐賀県
7.3 長崎県
7.4 熊本県
7.5 大分県
7.6 宮崎県
7.7 鹿児島県
7.8 東京都
8 著名な出身者
9 関連項目
10 脚注
11 外部リンク
概要
社史
1877年(明治10年) - 「筑紫新聞」創刊。
1878年(明治11年) - 「めさまし新聞」創刊。
1879年(明治12年) - 「めさまし新聞」が「筑紫新報」に改題。
1880年(明治13年) - 「筑紫新聞」と「筑紫新報」が合併して「福岡日日新聞」創刊。
1887年(明治20年) - 「福陵新報」創刊。
1898年(明治31年) - 「福陵新報」、「九州日報」と改称。
1931年(昭和6年) - 「西日本新聞連盟」結成。福岡日日新聞が盟主となる。構成社は福岡日日新聞、関門毎夕新聞、佐賀日報、長崎民友新聞、佐世保民友新聞、九州日日新聞もしくは九州新聞のいずれか一方、大分日報、日州新聞及び鹿児島毎日新聞。
1940年(昭和15年) - 「九州日報」、旧読売新聞社の経営に移る。
1943年(昭和18年)4月17日 - 新聞統制により福岡日日新聞合資会社と株式会社九州日報社が福岡日日を実質の存続会社として合併、西日本新聞社発足。なお「西日本新聞」の発行自体は前年8月10日から福岡日日社が行っていた。
1950年(昭和25年) - 中部日本新聞社(現・中日新聞社)、北海道新聞社と「新聞3社連合」(現在の「ブロック紙3社連合」)創設。
1952年(昭和27年) - 第1回九州一周駅伝競走大会開催。
1955年(昭和30年) - 「西日本スポーツ(西スポ)」創刊。
1959年(昭和34年) - 第1回「金鷲旗争奪高校柔道大会」「玉竜旗争奪高校剣道大会」開催。
1975年(昭和50年) - 福岡市中央区天神1丁目に新社屋「西日本新聞会館」完成(下層階は大丸福岡天神店)。
1990年(平成2年)1月1日 - CI(コーポレートアイデンティティ)導入、社章ロゴ・社旗を変更。現在使われている社章のデザインは松永真が手掛けた。
1996年(平成8年) - ホームページ開設。
2009年(平成21年)3月31日 - 西日本新聞、西スポの、山口県及び沖縄県における発行・販売を、この日限りで終了。