西恵子
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この項目では、1948年生まれの元女優について説明しています。1977年生まれの女優については「西慶子」を、歌手については「西けいこ」をご覧ください。

にし けいこ
西 恵子
生年月日 (1948-12-11) 1948年12月11日(75歳)
出生地 日本新潟県長岡市
身長162 cm[1]
血液型AB型[2]
職業女優
ジャンルテレビドラマ映画
主な作品
テレビドラマ
『続・下町育ち』
ワン・ツウ アタック!
ウルトラマンA』映画
『BG・ある19才の日記 あげてよかった!』
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西 恵子(にし けいこ、1948年12月11日[1][2] - )は、日本の元女優。本名(旧姓名)、西山 幸子[1]

新潟県[1]長岡市出身[2][3]宝仙学園高等学校卒業[1]。吉村事務所[2]、柊企画に所属していた[2]。既婚。
人物

父は洋裁業を営み、中学時代に家族で東京都に転居する[2]

高校卒業後、武蔵野ドレスメーカー(現・専門学校武蔵野ファッションカレッジ)に進学するが、学校で開催された学園祭に先輩の薦めで出演していたところ、学園祭を見ていた芸能関係者にスカウトされて吉村事務所に所属する[2]

1968年日活映画『BG・ある19才の日記 あげてよかった!』でデビュー。本作を機に日活と専属契約を結び、丘みつ子沖雅也、長谷川照子とともに「エメラルドライン」として売り出すが、日活が任侠映画ロマンポルノに方向転換したことも重なり、低迷する[2][3]

1970年ライオン奥様劇場『続・下町育ち』(フジテレビ)に、鮎川いずみと姉妹役でレギュラー出演[2]。同作の制作会社であるNMCからはデビュー当時、出演依頼があったものの事務所の方針で辞退していた[2]。当時は五社協定があるため、他社作品である本作には出演できないところであったが、当時の日活の常務に直訴したところ了承され、出演可能になった[2]。当時の紹介記事では、日活を離れるか悩んでいるとしたうえで「新しい道を開けるか勝負です」と述べている[3]

『続・下町育ち』終了後、日活から柊企画に移籍してテレビドラマに活動の場を移し、『ワン・ツウ アタック!』(東京12チャンネル)などへの出演を経て、1972年特撮テレビドラマウルトラマンA』に超獣攻撃隊・TACの女性隊員・美川のり子役でレギュラー出演[2]

『ウルトラマンA』終了後もテレビドラマで活動するが、1975年昼ドラ女の日時計』(毎日放送)で共演した俳優の勝呂誉に勧められて始めたゴルフを通じて知り合った男性と結婚し、引退した[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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