この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。西川 のりお
大阪成田山での節分祭の豆まきで
(2014年2月3日)
本名北村 紀夫(きたむら のりお)
生年月日 (1951-05-12) 1951年5月12日(73歳)
出身地奈良県吉野郡川上村
血液型A型
身長173cm
言語日本語
方言大阪弁
最終学歴大阪工業大学高等学校
師匠西川きよし
コンビ名西川のりお・上方よしお
相方上方よしお
芸風漫才(ボケ)
立ち位置左
事務所吉本興業
活動時期1970年 -
過去の代表番組『オレたちひょうきん族』
配偶者既婚
公式サイトプロフィール
受賞歴
第20回読売ヒューマンドキュメンタリー大賞 優秀賞
テンプレートを表示
西川 のりお(にしかわ のりお、1951年〈昭和26年〉5月12日[1] - )は、日本の漫才師である。本名は北村 紀夫(きたむら のりお)。吉本興業所属。茨城県坂東市のねぎ大使でもある。愛称は「のりやん」「笑いの暴走機関車」。奈良県吉野郡川上村生まれ、大阪府大阪市都島区育ち。血液型はA型。 大阪市立桜宮中学校、大阪工業大学高等学校(現在の常翔学園高等学校)機械工学科卒業。高校時代は応援団員として活動し、大きな独特のダミ声はその時から磨いていた。 高校卒業前に西川きよしに入門した。入門の契機はきよしと喋ってもらえるという理由であった。ある日同級生と株主優待券を使って花月劇場に横山やすし・西川きよしを見に行った際に面白半分で野次を飛ばしたところ、きよしから「なんや君!後で楽屋に来い」と言われ、扱われたと思っていい気になっていた。舞台の後に出待ちで待っていた際に、のりおに気づいたきよしは本気で野次を飛ばすなと怒りながら注意しているのに対し、のりお本人は自分を意識していると勘違いして意気揚々になっていた。これがきよしとの出会いとなる。その後もきよしの楽屋をしばしば訪れ、きよしに呆れられながらも顔を覚えられた。このアマチュア時代のきよしとのりおの関係は、どちらかといえば半ば友達か腐れ縁の様な付き合いで、きよしに何度も反逆して手のかかる弟子だったと、のりおは回顧している。一方、本格的に弟子入りした後は、非常に厳しい内弟子修行を行っている(後述)。 こうしたアマチュア時代から毎日放送ラジオ「ヤングタウン」のオーディションを受け、頭角を現していた。
来歴