西島 三重子
生誕 (1950-08-17) 1950年8月17日(73歳)[1]
出身地東京都中野区[1]
職業シンガーソングライター
担当楽器ボーカル
活動期間1975年[1] -
事務所アオイスタジオ
公式サイトhttps://nishijima-mieko.com/
西島 三重子(にしじま みえこ、1950年8月17日[1] - )は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家[1]。東京都中野区出身[1]、静岡県御殿場市在住[1]。1975年にデビュー[1]。『池上線』のヒットで知られる[1]。
絵本やエッセイの執筆も手がける。アオイスタジオ所属[1]。血液型はO型[1]。本名も同じ(デビュー当時)。 1950年8月17日、東京都中野区の西武新宿線沿線に生まれる[2]。実家は新井薬師近くの商店街で老舗の精肉商を営む[2]。5人姉弟の三女[2]。 小学校から短大まで、一貫教育で知られる東京都豊島区目白の私立女子校「川村学園」に通う[2]。川村小学校、川村中学校・高等学校を経て、川村短期大学家政科を卒業し栄養士の資格を取得する[2][3]。 なお、1977年6月25日のシングル『ジン・ライム』B面の曲は「目白通り」(同じく目白にある学習院出身の佐藤順英が作詞)、1979年10月25日発売のシングルは『千登勢橋』(モデルは目白通りに掛かる千登世橋、門谷憲二作詞)で、ともに川村学園のあった目白の街が登場する[4]。 短大卒業後、子供の頃から好きだった絵を志して和光大学人文学部芸術学科に入学するが、後に中退する[2]。 1974年、渋谷西武「チャオパルコ サウンドオーディション」に出場して優勝[1]。ワーナー・パイオニアのディレクターに認められる[1]。オーディションではアマチュアグループ「カウンセラーズ」のボーカルとして自作曲「のんだくれ」を歌った。 1975年9月25日、アルバム『風車』及びシングル『のんだくれ』でデビュー。 翌1976年4月25日に発売されたセカンド・シングル『池上線』(佐藤順英作詞)が極めて息の長いヒットとなり、自身の代表曲となった。詳細は「池上線 (曲)」を参照 また、2012年11月7日にはアンサーソングの『池上線ふたたび』(門谷憲二作詞)をリリースした[5]。2015年9月16日には新バージョンとして「池上線ふたたび?New Version?」(門谷憲二作詞)と「池上線?New Version?」(佐藤順英作詞)をカップリングしたシングルを発売している。 2016年において、コンサートやライブ活動を精力的に行っており、2002年に発表した、子供の健やかな成長を祈る親の気持ちを歌った「おひさまのたね」は保育園や幼稚園、小学校、ママさんコーラスなどで愛唱され、当時は譜面や歌詞を無料配布していた[6]。その後2016年12月7日にシングル『おひさまのたね』として自己の歌唱でリリースした。 2018年3月28日にはシングル『目黒川』を発売、ライブハウス「南青山MANDARA」で発売記念ライブを行った。代表作の「池上線」に続き、東急沿線の目黒川の風景を歌った曲となる。 24枚のオリジナルアルバムをリリース[1](ワーナー・パイオニアから5枚、テイチクから6枚、東芝EMIから8枚、メディアリンクから3枚、アオイスタジオから1枚、ポニーキャニオンから1枚)。他にベストアルバムが多数、コンピレーションアルバム『Re-Cover』にも参加。 また作曲家としての楽曲提供も、五木ひろし「途中駅」、木の実ナナ「うぬぼれワルツ」をはじめ非常に多数。ラジオ・テレビ等への出演もラジオ関西『CRミュージックスペース558 ギャルギャルコーベ』、NHKラジオ『面白法律夜話』など多数。NHK『みんなのうた』「あいつのハンググライダー」も西島三重子作品である。 絵本『サンタさんのゆめ』(サンリオ、1990年)、『おやおや、まあくん』(サンリオ、1992年)、自伝風エッセイ『ヤクシ団欒物語』(有朋堂、1996年、ISBN 4-8422-0221-1)、『わすれもの』(愛育社、2007年)等も執筆。イラストレーターとしても活動する[1]。 #発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
人物・経歴
出演番組
CRミュージックスペース558 ギャルギャルコーベ(ラジオ関西)
音楽
シングル
1970年代
11975年
9月25日A面のんだくれ佐藤順英西島三重子馬飼野俊一L-1270E
B面笹谷峠
21976年
4月25日A面池上線佐藤順英西島三重子馬飼野俊一L-7E
B面ざわめきの外であかのたちお
31977年
2月25日A面1460日麻生香太郎西島三重子林哲司L-67E
B面星めぐり西島三重子
41977年
6月25日A面ジン・ライム佐藤順英西島三重子渡辺俊幸L-95E