この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "西尾鉄也"
にしお てつや西尾 鉄也
プロフィール
別名義双堂 健
生年月日 (1968-06-23) 1968年6月23日(55歳)
出身地 日本・愛知県
職業
アニメーター
キャラクターデザイナー
所属Production I.G(取締役)
活動期間1988年 -
ジャンルアニメーション
交流関係広瀬いづみ(妻)
代表作キャラクターデザイン・作画監督
『人狼 JIN-ROH』
『攻殻機動隊』シリーズ
『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』
『NARUTO -ナルト-』シリーズ
アニメーター: テンプレート - カテゴリ
テンプレートを表示
西尾 鉄也(にしお てつや、男性、1968年6月23日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー[1]。愛知県出身[1]。株式会社プロダクション・アイジー取締役[2]。 中学時代からアニメーションに興味を持ち、愛知県立旭丘高等学校(39期生)で映画研究部に所属。東京デザイナー学院名古屋校(現・名古屋デザイナー学院)卒業後、上京して学校に紹介されたアニメスタジオをいろいろ回るが、面接で惨敗[1]。唯一認めてくれたスタジオアニメ・スポットに入る[1]。 初めて動画として参加した『おそ松くん』からスタジオぴえろのフジテレビ土曜18時半放映枠の番組に連続して参加し、『幽★遊★白書』ではアニメスポット担当回の原画の主力となる[1]。 1995年には同枠のTVシリーズ『NINKU -忍空-』でキャラクターデザインを担当。またそれに先立ち、前年にイベント上映用に制作された『NINKU ナイフの墓標』で初キャラクターデザイン、初作画監督を経験している[注 1][3]。 その後、1996年の『みどりのマキバオー』からフリーとなる[3]。 2000年、映画『人狼 JIN-ROH』にキャラクターデザイナーと作画監督として参加。デザイン作業は、先に沖浦のラフがあったキャラクターはそれを元に沖浦と相談しながら進めた[注 2]。その他はすべて西尾のオリジナルである。また映画公開までの期間に、Production I.GのHPで「週刊少年ひとおおかみ」のタイトルで、『人狼』の内輪話を描いたデフォルメキャラによるイラストエッセイを連載。 以降はProduction I.Gを活動の拠点とし、その看板クリエイターの一人となる[1]。I.Gでは長年執行役員待遇を受けていたが、2020年の役員異動に伴って取締役に昇任した。 1980年代よりアニメーターとして活動を続け、原画、作画監督、キャラクターデザインと、手がけた代表作は数多い[4]。なかでもアニメ「NARUTO-ナルト-」シリーズのキャラクターデザインや作画の仕事で世に広く知られている[4]。また2009年に東京アニメアワード キャラクターデザイン賞を受賞するなど、西尾が生み出す絵は高い評価を受けている[5]。 押井守監督が絶賛するアニメーターの一人で、沖浦啓之、黄瀬和哉とともにProduction I.G作画三大神と呼ばれる[5][6][7]。 本人は男性だが、自画像はショートヘアの少女として描かれることが多い。自画像のモデルは『人狼 JIN-ROH』の冒頭に登場するテロリスト「阿川七生」で、ファンから「ジバクちゃん」の愛称で呼ばれている少女のキャラクター。 I.Gのホームページ上やテレビ番組などで、筆ペンやコピックを使用したイラストコラムも発表している。 正統的なスタイルの作画できっちりと動かし、なおかつ、パンチが効いているというのが彼の作画の魅力[1]。リアルで硬質な絵を得意とする一方で、正反対のキッズアニメでもその手腕を発揮する[4]。男性キャラの見事な描きっぷりのためオヤジアニメーターと呼ばれているが、一方で可愛らしいデフォルメキャラも披露するなど、幅広い画風も持ち味[1]。ドラマに興味がないので演出志向を持たず、アニメーター一筋[8]。女の子を描くのに興味がないのかと言われるが、自身のフェティシズムが表に出てそれを見透かされるのが嫌なだけだという[8]。一方でジバクちゃんのようなデフォルメキャラは一種の芸なので平気だと言い、むしろリアル頭身ばかり描いていると時々ああいうものも描きたくなるとのこと[8]。 アニメーターを志したきっかけは小学生の時に見た『機動戦士ガンダム』[1]。それまでも普通の子供並みにアニメは見ていたが、いわゆる「TVマンガ」としてであり、「松本零士のアニメは松本零士自身が作っているんだろう」という一般人と同程度の認識だった。それが同世代の多くと同じようにファーストガンダムインパクトを受けたことでアニメーターという職業を知り、興味を持った[1]。その前は、水島新司と藤子不二雄の漫画にハマっていて、大学ノートに野球漫画ばかり描いていた[1]。 『御先祖様万々歳!』のうつのみや理のリアルな作画に衝撃を受け、傾倒していった。それまでは「金田系」(金田伊功)を模索していた時期もあったが、『御先祖様万々歳!』のうつのみやから受けたのは他とは比較にならない、筆舌に尽くしがたい程のショックだったという[1]。直接一緒に仕事をしたのも数本だけで、手取り足取り教えてもらったわけではないが、作画思想に大きな影響を受けた[3]。
経歴
人物