西宮競輪場
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阪急西宮スタジアム
Hankyu Nishinomiya Stadium

施設データ
所在地兵庫県西宮市高松町
座標北緯34度44分37.6秒 東経135度21分34.3秒 / 北緯34.743778度 東経135.359528度 / 34.743778; 135.359528座標: 北緯34度44分37.6秒 東経135度21分34.3秒 / 北緯34.743778度 東経135.359528度 / 34.743778; 135.359528
開場1937年5月1日
閉場2002年12月31日
取り壊し2004年9月1日 - 2005年
所有者阪急電鉄
グラウンド内野 -天然 (開場 - 1940年代) 黒土(1950年代 - 1989年) 人工芝(1990年 - 閉場)
外野 - 天然芝(開場 - 1977年) 人工芝(1978年 - 閉場)
設計者阿部美樹志
建設者竹中工務店
旧称阪急西宮球場(開場 - 1991年3月31日)
使用チーム ? 開催試合


阪急軍(阪急職業野球団)
→阪急ベアーズ
→阪急ブレーブス
→オリックス・ブレーブス
1937年 - 1990年※正式な本拠地化は1952年。)

全国中等学校野球選手権大会
→全国高等学校野球選手権大会
(中等 - 1946年、高等〔甲子園球場との併催〕 - 1958年1963年

大陽ロビンス1948年 - 1949年

収容能力
55,000人(開場時の数値)
35,000人(1978年:人工芝完成記念パンフレットより)
40,000人(営業晩年の公式ウェブサイトより)
グラウンドデータ
球場規模両翼 - 101 m(ラッキーゾーン設置時までは91.4 m)
中堅 - 118.9 m(開設時は120mとする文献もある[1]
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阪急西宮スタジアム(はんきゅうにしのみやスタジアム、Hankyu Nishinomiya Stadium)は、かつて兵庫県西宮市にあった、阪急電鉄(法人としては現在の阪急阪神ホールディングス)が所有していた多目的スタジアム阪急神戸線西宮北口駅前にあった。通称及び旧名称は阪急西宮球場(はんきゅうにしのみやきゅうじょう)。
目次

1 概要

1.1 スコアボード

1.2 放送席の配置

1.3 西宮第二球場


2 歴史

3 イベントの開催

4 西宮競輪場

4.1 歴史

4.2 エピソード

4.3 幻のナイター競走

4.4 訴訟問題


5 阪急商業学園

6 コマスイミングスクール・コマスポーツセンター・西宮コマゴルフ練習場

7 脚注

8 アクセス

9 外部リンク

概要

日本初の二階建スタンドと全面天然芝のグラウンドを持つ野球場として、シカゴリグレー・フィールドなど当時のMLBの諸球場を参考に設計された[2]。当初の計画では西宮北口駅の真上に建設して「ターミナル・スタジアム」とする計画であったが、同駅周辺には阪神電鉄が保有する土地が点在していたため用地買収が上手くいかず、代わりに周りは一面水田であった「大毎フェア・ランド」跡地である現在地で1936年冬に起工、わずか5ヶ月の突貫工事で完成し、翌1937年5月に開場した[2]

すぐ南の阪神甲子園球場に対抗して造られた阪急西宮球場は、日本初の鉄傘付き二階席の他、当時としては異例の背付き椅子を備えた内野席、5万7千人収容の観覧席の傾斜角度をどこから見ても本塁に合わせるなど工夫され、その後長く「行きよい、見やすい」というキャッチフレーズが使われた。また、浴場など選手用施設、記者室、郵便局、当時では珍しかった男女別トイレなど内部施設も充実しており、広い敷地と併せて最新・最高の設備を備えた球場であった[3]。設計は、当時の阪急関連の建物の多くを担当した阿部美樹志が手掛けている。

阪急電鉄が所有していたプロ野球チーム『阪急ブレーブス』の本拠地(フランチャイズ)として阪急の主催試合が開催された。それ以外に、競輪場として競輪開催(「西宮競輪場」で詳述)、アメフトの試合、コンサートなど様々なイベントで使用されており、まさに“多角経営”の先駆けとなった野球場である。

阪急電鉄が球団を譲渡したオリックスがフランチャイズを移転した後の1991年に「多目的スタジアム」であることを標榜し、「阪急西宮スタジアム(はんきゅうにしのみやスタジアム)」へ改称。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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