西宮北口駅
南西口
にしのみや きたぐち
Nishinomiya-kitaguchi
(阪急西宮ガーデンズ前)
西宮北口駅(にしのみやきたぐちえき)は、兵庫県西宮市高松町[注 1]にある、阪急電鉄の駅[2]。副駅名は阪急西宮ガーデンズ前。駅番号はHK-08。 西宮市の中心駅の一つで、市内では最大の乗降客数を誇る。 神戸本線と今津線が接続する乗換駅[2]でもあり、今津線は当駅を境に宝塚駅方面は「今津北線」、今津駅方面は「今津南線」と呼ばれることがある。神戸本線の列車は、今津線と直通する列車を除いて車掌及び運転士は当駅で交代する。 神戸本線と今津北線の間を直通運転する準急・直通特急・臨時急行を除く(後記「のりば」参照)全営業列車が停車する。神戸本線の急行は当駅以西(通勤急行は塚口駅以西)で各駅に停車する。 かつては国鉄東海道本線西ノ宮駅(現在のJR西日本西宮駅)や阪神本線西宮駅と区別するため、当駅周辺の住民を中心に「キタグチ(北口)」と称されることが多かったが、現在は若年層を中心に「ニシキタ(西北)」と称されることが多く[3]、西宮北口界隈を紹介するメディアや当駅周辺の分譲マンション広告などでも『ニシキタ』の呼称が一般的である[4]。 大阪(大阪梅田駅)と神戸(神戸三宮駅)のほぼ中間に位置している。 阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が、灘循環電気軌道を買収して十三線の名称で阪神間の新線を計画した際は、この地域は今より北の門戸厄神付近を経由する、現在の山陽新幹線および国道171号のルートに相当するルートで申請されていた。これは十三線の敷設が主に伊丹一帯の開発を名目としていたためであり、また十三線の申請以前に宝塚 - 西宮香櫨園(現在の阪神本線香櫨園駅付近)間の免許を箕面有馬電気軌道が所有していたため、それと接続する形を取ったからでもあった。 しかし阪神間を高速で結ぶ目的を達するため、同社は伊丹へは支線の伊丹線を開業させることで代替とし、南の塚口を経由する短絡ルートへ変更した。それに伴い宝塚から南下する計画線との接続点も変更され、結果両線の接続および車庫の設置を目的とし、当地に駅が開設されることになった。「阪神急行電鉄」も参照 開業時、駅は西宮町(1925年に市制施行で西宮市となる)の市街地から大きく離れ、武庫郡瓦木村(1942年に同市へ編入)に属する農村地帯に存在したが、当初より「瓦木」ではなく「西宮北口」を名乗った[注 2]。これは、宝塚からの支線(西宝線として1922年に開業)をさらに南下させ、西宮の市街地まで延伸させる計画があり、それとの接続点ともなる予定であったからだと言われている。しかし、この西宮市街地への延伸計画は実現せず未成線となり、代わりに阪神本線への接続を図る計画が立てられ、それを1926年に実施して現在の今津線となった。後述するダイヤモンドクロスはこのとき生じている。現在西宮市内にある阪急の駅の中では、最も後に西宮市に編入された駅でもある。「阪急今津線」も参照 1946年(昭和21年)10月14日には、当駅のホームにおいて漫才師・ミスワカナ(初代)が心臓発作のため急逝(享年36)するという出来事もあった。
概要
歴史西宮北口駅の構内(1957年)
年表
1920年(大正9年)7月16日:阪神急行電鉄神戸線(現在の阪急電鉄神戸本線)開通と同時に開業[5]。
1921年(大正10年)9月2日:西宝線として宝塚駅 - 当駅間開業[5]。
1926年(大正15年)12月18日:当駅 - 今津駅間が開業[5]。宝塚駅 - 今津駅間が今津線となる[2]。神戸線と今津線の間で平面軌道交差が生じる[2](後述)。
1959年(昭和34年)冬:7号線を分断、宝塚方面折り返し用とする[6]。
1960年(昭和35年)12月:地下道を設置[6]。
1973年(昭和48年)10月28日:自動改札機を設置し、供用開始[7]。
1982年(昭和57年)5月24日:橋上駅化工事起工[8]。
1984年(昭和59年)3月25日:駅改装に伴い駅構内のダイヤモンドクロスが廃止。今津線の運行系統が当駅を境に分断される[9]。
1985年(昭和60年)3月:構内地下道廃止[9]。
1986年(昭和61年)10月:南北の改札口を橋上駅舎化[9]。