西安留学生寸劇事件(せいあんりゅうがくせいすんげきじけん)または、西北大学日本人留学生事件(せいほくだいがくにほんじんりゅうがくせいじけん)とは、2003年10月29日に中華人民共和国陝西省西安市にある西北大学で開催された演芸会をきっかけに、きっかけに大規模な反日暴動や反日デモにまで発展するとなった事件である。事件は最終的に政府の介入により沈静化したが、寸劇を演じた日本人留学生は、強制的に日本に帰国させられた。 2001年、靖国神社参拝を公約とする第1次小泉内閣が発足。2001年8月13日、当時の首相小泉純一郎が、靖国神社を参拝。また、2003年1月14日に、三度目となる靖国神社参拝を強行した。中国国内では、靖国神社参拝に関する報道が急増。中国人の日本人に対する印象が悪くなっていた時期であった。 また、2003年8月4日、旧関東軍が遺留したとされた化学兵器が漏出して市民44人が重軽傷を負い、うち1人が死亡する事件が発生した。自衛隊の化学兵器処理班が斉斉哈爾(チチハル)に派遣された(遺棄化学兵器問題)。 これらの事件は、中国人の反日感情をさらに加速させた。 2003年10月29日の19時、西北大学の礼堂で、西北大学共青団支部主催の「文芸の夜」という文化祭が行われた。会場に溢れかえった500人の観衆はほとんどが中国人で、わずか10人ばかりの日本人は、その日の昼に中国人学生から誘われて演芸会に参加した[1]。参加したのは、当時同校の日本人教師と留学生3人。日本人教師は、身長180センチもある西欧人風のマネキンを抱え、一人二役の腹話術をするというパフォーマンスを行った。そのパフォーマンスは全く、下品なものではなかった[1]。しかし、その後、留学生3人は、低俗な表現と捉えられるパフォーマンスを5分間続けた。 翌30日の朝、西北大学の学生が留学生寮を取り囲み、ある女子生徒が建物の壁に大きな抗議ポスターを貼った。大学側はポスターをはがすように指導したが、拒否された。同日午後4時に、大学はキャンパスを封鎖。校長は参加した日本人教師と学生の除名を発表したが、学生寮を取り囲んでいた中国人学生が、日本人に出てきて直接謝罪するよう求め、両者は膠着状態に陥った。この頃、西安市にある西安大学、西北理工大学、西安交通大学、長安大学などの学生たちは、事件を知って抗議デモの準備を始めた。 同日午後8時、西北大学の学生数名が抗議デモに参加し、この問題を説明するビラを一般に配布した。午後10時、学生たちは代表を派遣して愛国心に反する行為であることを学校に示し、関係する日本人に直接謝罪し、拘束された中国人生徒を釈放するよう再度求めた。大学側は再度拒否した。午後11時頃、西安電子科技大学の支援学生が西北大学に駆けつけ、大学側に同じ要求をしたところ、大学側は再度拒否した。 午後12時過ぎ、約100名ほどの学生が、 留学生寮の前に集結し、デモを開始した。 初めは遠巻きに見てた学生らもしだいに参加し始め、あっという間に 約1000名近くの学生が集結した。それとともに抗議行動はエスカレート。 日本国旗や日本ブタと書いた人形を破壊して燃やすなどの抗議を行った。そして、パフォーマンス参加者の謝罪を求めつづけた[2]。 その後、激しい衝突が勃発した。中国人学生は留学生の建物に突入し、寸劇とは関係ない日本人留学生が中国人学生の集団に殴られて負傷した。また、留学生寮の警備員も騒動に巻き込まれた。留学生寮の大きなガラスドアは見るも無残に壊され、同時に窓ガラスも次々と破壊された。 西安の機動隊が現場に到着し、留学生寮の中にいた中国人学生を、立ち退かせた。しかし、中国人学生は、留学生寮の外で歌を歌ったりして抗議を続けた。この間、多くの日本人は学校の保護下に置かれた。この時、陝西省教育局長は中国人学生に寮に戻るよう呼びかけた。 31日、西安市にある大学は閉鎖された。日本人学生は西安市内のホテルに避難した。中国人学生たちは依然として街頭に出てデモを続けた。当時の西安外国語学院の学生などがこれに加わり、西北学校に学生が殺到した。学生デモ隊の活動は過熱し、約3000人が6車線道路を埋め尽くすデモになった。彼らは、投石を繰り返した後、日系企業が集中している開発エリアへ移動した[3]。デモ隊は、西安市長安北路の日本食レストランへ投石し、ドアと窓を破壊した。 2003年11月1日、寸劇を演じた日本人留学生3人と日本人教師は1日、大学側に謝罪文を提出した。 謝罪文で4人は、西北大学で10月29日に行った下品な寸劇について「西北大学の学生、教職員、観客、中国の友人の皆様に極めて不快な思いを与えてしまった」とした上で「深く反省するとともに心から謝罪する」と陳謝した[4]。その後、公式報道によると、関係する日本人教師が解雇され、3人の留学生が西北大学から追放された。
背景
経緯
その後
その他
一部のブロガーの投稿では、パフォーマンスを見た同僚から、日本人留学生のパフォーマンスはかなり下品ではあったが、中国人を侮辱するものではなかったと記述されている。
その場に居合わせた日本人によると、留学生3人が行ったパフォーマンスについて、「Tシャツの上に赤いブラジャーをして、顔にダンボールで作ったロボットのような箱をかぶり『中国』『ハートマーク』『日本』と、日中の友好をあらわす事を背中に書いていた」「踊りも舞台で音楽にあわせてリズムをとる程度のもの」「腹部の周りに逆さの紙コップをロープで縛っていた。」「 会場へのサービスのつもりで、ブラジャーの中に隠し入れたお菓子の包みを観客席に投げた」とある[5]。
単純な中国の反日感情だけでデモが起きたのではないという指摘もある。文化祭を主催した西北大学共青団支部にとって、下品なパフォーマンスはメンツを潰す物であったと考えられる。これは、日本人留学生が行った「下品なパフォーマンス」が、中国人学生側には「中国を侮辱した」ものにすり替えられていることからも、デモへの意図的な誘導があったと考えられる[6][7]。
脚注[脚注の使い方]^ a b “ ⇒西安留学生寸劇事件@news”. geolog.mydns.jp. 2022年9月8日閲覧。
^ “実録体験日記
^ “『目の前で起きた反日デモ』
^ “ ⇒寸劇の学生らが謝罪文 西北大学”. j.people.com.cn. 2022年9月8日閲覧。
^ “実録体験日記
^ 福本勝清 (2004). “アジア的生産様式論再考(二) 単一権 力社会の生成”. 明治大学教養論集 385号: 29-31.
^ 『中国共産党 世界最強の組織 1億党員の入党・教育から活動まで』星海社、2022年4月27日、59,60頁。
外部リンク
西安留学生寸劇事件@news - ウェイバックマシン(2003年11月7日アーカイブ分)
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