西大寺_(奈良市)
[Wikipedia|▼Menu]

西大寺
東塔跡越しに望む本堂(重要文化財)
所在地奈良県奈良市西大寺芝町1丁目1-5
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分37秒 東経135度46分46.2秒 / 北緯34.69361度 東経135.779500度 / 34.69361; 135.779500座標: 北緯34度41分37秒 東経135度46分46.2秒 / 北緯34.69361度 東経135.779500度 / 34.69361; 135.779500
山号勝寶山
秋篠山(旧称)
院号四王院
四天院(旧称)
宗派真言律宗
寺格総本山
本尊釈迦如来重要文化財
創建年天平神護元年(765年
開山常騰
開基孝謙上皇(勅願)
正式名勝寶山四王院西大寺
秋篠山四天院西大寺(旧称)
別称南都西大律寺
札所等真言宗十八本山第15番
大和十三仏霊場第2番
西国愛染十七霊場第13番
大和北部八十八ヶ所霊場第24番
南都七大寺第5番
神仏霊場巡拝の道第23番(奈良第10番)
文化財絹本著色十二天像12幅、木造叡尊坐像、金銅宝塔及び納置品ほか(国宝
本堂、絹本著色釈迦三尊像、木造釈迦如来立像ほか(重要文化財)
公式サイト ⇒真言律宗総本山 西大寺
法人番号2150005000193
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
テンプレートを表示
西大寺

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山寺院山号は勝宝山[注釈 1]本尊釈迦如来奈良時代孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代叡尊によって復興された。
歴史創建時西大寺の模型(奈良市役所所蔵平城京1/1000模型の一部)
北側から見る
創建

宝亀11年(780年)の『西大寺資財流記帳』によれば、創建の経緯は以下のとおりである。天平宝字8年(764年)9月、孝謙上皇恵美押勝の乱平定を祈願して金銅四天王像の造立を発願した。なお、孝謙上皇は同年10月重祚して称徳天皇となった。翌天平神護元年(765年)、前述の四天王像が造立され、西大寺が創建された。この四天王像4体は西大寺四王堂に今も安置されるが、各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもので、像本体は後世の作に代わっている[注釈 2]

西大寺の創建当時は僧・道鏡が中央政界で大きな力を持っており、西大寺の建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと推定されている[1]。護国のために四天王像を安置するのは『金光明最勝王経』に基づくものである。

「西大寺」の寺名はいうまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。前述の『資財流記帳』の記載や、元禄11年(1698年)作成の伽藍絵図から復元される伽藍配置は以下のようなものである。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:64 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef