西大和ニュータウン
にしやまとニュータウン
国 日本
地方近畿地方
都道府県奈良県
自治体北葛城郡河合町・北葛城郡上牧町
面積2.34km²
世帯数6,532世帯
総人口16,928人( ⇒国勢調査、2010年10月1日現在)
人口密度7,234.19人/km²
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度35分5.057秒 東経135度43分6.092秒 / 北緯34.58473806度 東経135.71835889度 / 34.58473806; 135.71835889
西大和ニュータウン(にしやまとニュータウン)は、奈良県の北西部に位置するニュータウン。河合町の西部、上牧町の北部にまたがる。 馬見丘陵北部に位置する。海抜50?70メートル前後である。 道路 路線バス 西大和開発株式会社(現存せず)により、1960年代後半より開発が進められた。1971年には日本住宅公団により西大和片岡台団地、西大和星和台団地が建設される。王寺町の王寺駅を経由して大阪都心まで通勤時間が一時間圏内であることと、西名阪道路の開通により自動車での交通も至便であることから順調に宅地開発は進み、人口は増加した。河合町・上牧町を含め、周辺自治体と合併の上、市制施行する構想があったものの結果としては頓挫した。近年は片岡台・星和台両団地の老朽化と住民の高齢化によるニュータウン共通の課題「オールドタウン」化が懸念となっている。
地形
交通
西名阪自動車道(ニュータウン中央部を東西に横断する)
奈良県道36号天理王寺線
奈良交通
河合町巡回ワゴン「すな丸号」
上牧町公共施設巡回バス
概要
街区
旧区域
河合町
大字大輪田
大字穴闇
大字佐味田
大字山坊
大字薬井
上牧町
大字下牧
現区域
河合町
久美ケ丘(くみがおか)1丁目-2丁目 - 大字佐味田に由来する地名[1]。
星和台(せいわだい)1丁目-2丁目 - 日本生命の「日」と「星」の字に由来する地名[1]。
高塚台(たかつかだい)1丁目-3丁目 - 大字大輪田小字高塚に由来する地名[1]。
中山台(なかやまだい)1丁目-2丁目 - 大字大輪田小字中山田に由来する地名[1]。
広瀬台(ひろせだい)1丁目-3丁目 - 広瀬神社に由来する地名[1]。
上牧町
片岡台(かたおかだい)1丁目-3丁目 - 丘陵周辺の旧称「片岡」と片岡城址に由来する地名[1]。
桜ヶ丘(さくらがおか)1丁目-3丁目 - 桜峠と桜苗木を植栽したことに由来する地名[1]。
沿革
1960年(昭和35年) - 野村正辰・龍村慶子がスポーツランド(ゴルフ場)を計画[1]。
1961年(昭和36年) - 王寺町、河合村、上牧村にスポーツランド計画が持ち込まれる[1]。
1962年(昭和37年) - 野村正辰と地主の一部が、関西電力・近畿日本鉄道・大和銀行・日本生命に用地購入を要請[1]。4社は、共同で宅地開発することを検討[1]。王寺町、河合村、上牧村が西大和誘致委員会を結成する[1]。
1963年(昭和38年)
2月 - 関西電力・近畿日本鉄道・大和銀行・日本生命が用地購入を了承する[1]。西大和開発が王寺町、河合村、上牧村と土地売買契約を締結[1]。
2月16日 - 大阪グランドホテルにて西大和開発設立発起人総会が開かれる[1]。発起人は太田垣士郎関西電力会長、川崎金藏日生不動産社長、佐伯有近畿日本鉄道社長、清水明日生住宅社長、寺尾威夫大和銀行頭取、新田宇一郎読売テレビ専務、野村正辰朝日新聞社社員、弘世現日本生命社長の8名[1]。
2月26日 - 西大和開発創立総会が開かれる[1]。発行株数は96,000株で、資本金は4,800万円[1]。西大和開発取締役会が開かれ、國崎裕社長が就任[1]。
3月 - 西大和開発と王寺町・河合村・上牧村との土地売買基本契約に基づき、3町村は土地所有者と協定価格による売買契約を締結する[1]。協定価格は田・池が1,700円、畑が1,200円、山林が800円[1]。
1964年(昭和39年)
4月、西大和開発が王寺町・河合村・上牧村に再び買収協力を依頼[1]。
6月、西大和開発が王寺町・河合村・上牧村に計画を説明、地元行政と協議開始[1]。
12月、現地事務所を河合村役場内に開設[1]。買収価格が見直され、協定価格に坪当たり2,000円から3,000円が上乗せされる[1]。
1965年(昭和40年)
7月、用地買収が中止され、現地事務所も一時閉鎖される[1]。
10月、西大和開発が宅地建物取引業者免許を取得[1]。
1966年(昭和41年)
3月、大阪ガスが西大和開発の経営に参画する[1]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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