凡例西園寺 宣久
時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕不明
死没天正8年5月18日(1580年7月9日)
改名板島宣政(初名)→西園寺宣久
戒名後西園寺殿羽林郎将永桃道宗大居士
墓所伊予国来応寺
官位志摩守
氏族伊予西園寺氏
父母父:西園寺公宣
西園寺 宣久(さいおんじ のぶひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。伊予西園寺氏の家臣。西園寺十五将の1人。 西園寺公宣
生涯
天正4年(1576年)頃、伊勢神宮に参詣し、その際、和歌と俳諧を織り交ぜた紀行文『伊勢参宮海陸之記』を著している[1]。
天正8年(1580年)5月18日、病死した[1]。法名は後西園寺殿羽林郎将永桃道宗大居士[1]。墓所は来応寺にある[1]。
辞世の和歌は「朝な夕な何に心を尽してやいたづら事にけふとこそなれ」「世の中は皆偽りの其内に此一言のまことなりけり」の二首が伝わる[1]。
脚注^ a b c d e “市指定 西園寺宣久の墓”. 宇和島市役所 (2015年7月1日). 2023年3月23日閲覧。
外部リンク
市指定 西園寺宣久の墓 - 宇和島市役所