西双版納
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中華人民共和国 雲南省 西双版納?族自治州
?海県の曼短仏寺?海県の曼短仏寺
旧称:車里、允景洪
雲南省中の西双版納州の位置雲南省中の西双版納州の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯22度00分 東経100度48分 / 北緯22.000度 東経100.800度 / 22.000; 100.800
簡体字西双版?
繁体字西雙版納
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カタカナ転写シーシュアンバンナー
タイ・ルー語????????????
タイ語???????????
ハニ語Xisual banaq
アカ語S?s?wpana
国家 中華人民共和国
雲南
行政級別自治州
建置1955年
面積
総面積19,700 km²
人口
総人口(2000)99.3397 万人
人口密度50,43 人/km²
経済
電話番号691
ナンバープレート雲K
行政区画代碼532800
公式ウェブサイト: ⇒http://www.xsbn.gov.cn/
景洪市内

シーサンパンナ(西双版納)タイ族自治州(シーサンパンナ・タイぞく-じちしゅう)は中華人民共和国雲南省最南端に位置する自治州。名称に含まれているタイ族はタイ族(泰)ではなく、?族(雲南省に住むタイ族系ルー族)である。

漢字表現は12の千の田を意味するタイ語「シップソーンパンナー(???????????)」を標準語で音写した表記である。日本では「西双版納」の雲南方言を経由したシーサンパンナまたはシーサパンナなどが広く用いられている。

首府は景洪市であり、古より少数民族タイ族(ルー族)が住居し、が生息、上座部仏教が盛んであるなど東南アジアのような光景が見られるため、近年観光地として発展している。
歴史詳細は「シップソーンパンナー」を参照

時代は哀牢国の版図に含まれ、南詔の時代になると茫乃(ムアン・ナイ)道を設置した。シップソーンパンナー(西双版納)の建国は、1180年にパヤー・スンカムンがムアン・チエンフン(景洪)で王を称したこと始まる。13世紀にはモンゴル帝国の侵攻があり、元朝へ帰順し、さらに明朝が興ると1382年には明に服属している。16世紀タウングー王朝が成立すると東方への攻勢を強め、周辺のタイ族による諸国家を支配下に置くことに成功し、この過程で上座部仏教やビルマ文字を吸収した。

19世紀、列強諸国が東南アジアに勢力圏を設定した際、シップソーンパンナーは中国の領土とされたが、その後も内政は従前の通り歴代王が清朝中華民国より土司の称号を受けて名目上中国に属するという状態が継続していた。1956年、中国人民政府のもとで行われた社会改造により、従来の国家組織が解体、王国は滅亡し、タイ族の自治州が設定されることとなった。

1980年に初めて外国人観光客に開放された[1]。1982年に「西双版納風景名勝区」が中華人民共和国国家重点風景名勝区に認定された[2]
行政区画

1県級市・2県を管轄する。

景洪市 - タイ語名: チエンフン、自治州中央、人口36万人。

?海県 - 自治州西部、人口30万人。

?臘県 - 自治州東部、人口18万人。

シーサンパンナ・タイ族自治州の地図
景洪市?海県?臘県

年表

この節の出典[3]
シーサンパンナ・タイ族自治区

1954年9月1日 -
雲南省思茅専区車里県・南?県・仏海県・鎮越県を編入。シーサンパンナ・タイ族自治区が成立。(4県)

思茅専区江城ハニ族イ族自治区・思茅県の各一部が車里県に編入。

思茅専区思茅県の一部が鎮越県に編入。


1954年11月6日 (12パンナー3自治区)

車里県の一部が分立し、パンナー景洪・パンナー?養・パンナー?籠が発足。

仏海県・車里県の各一部が合併し、パンナー?海が発足。

車里県・鎮越県の各一部が合併し、パンナー?旺が発足。

鎮越県の残部が分割され、パンナー易武・パンナー?捧・パンナー?臘・易武ヤオ族自治区が発足。

仏海県の一部が分立し、パンナー?混・パンナー?往・プーラン族自治区が発足。

南?県が分割され、パンナー?遮・パンナー曼敦が発足。

仏海県の残部・車里県の残部が合併し、格朗和ハニ族自治区が発足。


1955年6月1日 - シーサンパンナ・タイ族自治区がシーサンパンナ・タイ族自治州に改称。

シーサンパンナ・タイ族自治州

1955年6月1日 - シーサンパンナ・タイ族自治区がシーサンパンナ・タイ族自治州に改称。(12パンナー3自治区)

パンナー曼敦がパンナー西定
に改称。

パンナー?往がパンナー?阿に改称。


1956年11月26日 - プーラン族自治区が山区に移行し、布朗山区となる。(12パンナー2自治区1山区)

1957年10月19日 - 思茅専区思茅県普?県鎮?県景東県景谷県墨江県江城ハニ族イ族自治県・瀾滄ラフ族自治区・孟連タイ族ラフ族ワ族自治区・西盟山区を編入。(6県1自治県12パンナー4自治区2山区)

1957年12月6日 (6県1自治県5パンナー2自治区1山区)

パンナー景洪・パンナー?籠・パンナー?養およびパンナー?旺の一部が合併し、パンナー景洪が発足。

パンナー?遮・パンナー西定が合併し、パンナー?遮が発足。

パンナー?海・パンナー?混・パンナー?阿・格朗和ハニ族自治区・布朗山区が合併し、パンナー?海が発足。

パンナー易武・易武ヤオ族自治区およびパンナー?旺の残部が合併し、パンナー易武が発足。

パンナー?臘・パンナー?捧が合併し、パンナー?臘が発足。


1959年12月10日 (6県3自治県5パンナー1山区)

瀾滄ラフ族自治区が県制施行し、瀾滄ラフ族自治県となる。

孟連タイ族ラフ族ワ族自治区が県制施行し、孟連タイ族ラフ族ワ族自治県となる。


1960年9月13日 (4県3自治県3パンナー1山区)

思茅県が普?県に編入。

鎮?県が景東県・景谷県・墨江県、玉渓専区新平県に分割編入。

パンナー?遮がパンナー?海に編入。

パンナー易武がパンナー?臘に編入。


1960年9月22日 (7県3自治県1山区)

パンナー景洪が県制施行し、景洪県となる。

パンナー?海が県制施行し、?海県となる。

パンナー?臘が県制施行し、?臘県となる。


1962年3月27日 - 景東県・景谷県の各一部が合併し、鎮?県が発足。(8県3自治県1山区)

1963年9月13日 - 孟連タイ族ラフ族ワ族自治県が孟連タイ族ラフ族ワ族自治県に改称。(8県3自治県1山区)

1963年9月14日 - 西盟山区が県制施行し、西盟ワ族自治県となる。(8県4自治県)

1964年8月18日 - 普?県・鎮?県・景東県・景谷県・墨江県・江城ハニ族イ族自治県・瀾滄ラフ族自治県・孟連タイ族ラフ族ワ族自治県・西盟ワ族自治県が思茅専区に編入。(3県)

1993年12月22日 - 景洪県が市制施行し、景洪市となる。


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