西千石町
町丁
大久保利通像[1]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度35分17秒 東経130度32分51秒 / 北緯31.587944度 東経130.547611度 / 31.587944; 130.547611座標: 北緯31度35分17秒 東経130度32分51秒 / 北緯31.587944度 東経130.547611度 / 31.587944; 130.547611
国 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域中央地域
地区中央地区
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在)
人口2,321 人
世帯数1,493 世帯
郵便番号892-0847
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
運輸局住所コード[3]46500-0317
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西千石町(にしせんごくちょう[4])は、鹿児島県鹿児島市の町[5]。旧鹿児島府下西千石馬場町、鹿児島市西千石馬場町。郵便番号は892-0847[6]。人口は2,321人、世帯数は1,493世帯(2020年10月1日現在)[7]。1963年(昭和38年)より西千石町の全域で住居表示を実施している[8]。 鹿児島市の中心部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には平之町、照国町、南方には加治屋町、山之口町、西方には西田、東方には東千石町が接している。 町域の北端を鹿児島県道24号鹿児島東市来線が東西に通っており、南端には鹿児島県道21号鹿児島中央停車場線が東西に通っている。以前は加治屋町電停より鹿児島市電伊敷線が分岐していたが、1985年(昭和60年)に廃止となった。西端には甲突川が流れており、町域の南東部にあるライオンズ公園には1979年(昭和54年)に除幕された大久保利通像がある[1]。東部には鹿児島市立山下小学校が所在している。 西千石町の「千石」はかつて一帯に千石以上の所領をもつ上級武士の屋敷が多くあったことに由来しており[1]、鹿児島城(鶴丸城)を中心として千石を東西に分けた西側に位置していたことに由来する[9]。 江戸時代は鹿児島城下の士屋敷であり、主に上級武士の居住地域であった。明治初期に鹿児島県鹿児島府下の西千石馬場町となった[5]。 1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地 1963年(昭和38年)9月11日には西千石町の全域で住居表示が実施された[12][8]。 統計年次〔年〕世帯数〔世帯〕総人口〔人〕備考 以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。 人口推移年人口
地理
町名の由来
歴史
人口
資料統計
明治10年代604-[5]
1908年(明治41年)3711,731[5]
1922年(大正11年)5593,389[5]
1935年(昭和10年)6353,490[5]
国勢調査
1995年(平成7年)[13]1,620
2000年(平成12年)[14]1,547
2005年(平成17年)[15]1,885
2010年(平成22年)[16]2,278
2015年(平成27年)[17]2,259
2020年(令和2年)[7]2,321
施設鹿児島市立山下小学校
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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