西之島
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隠岐諸島の「西ノ島」とは異なります。

西之島
2018年12月1日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本東京都
所在海域太平洋フィリピン海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯27度14分49秒 東経140度52分28秒 / 北緯27.24694度 東経140.87444度 / 27.24694; 140.87444 (西之島)座標: 北緯27度14分49秒 東経140度52分28秒 / 北緯27.24694度 東経140.87444度 / 27.24694; 140.87444 (西之島)
面積約4.4[1][2] km²
最高標高約200[3] m

西之島の位置(地図中央)
OpenStreetMap
プロジェクト 地形
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西之島(にしのしま,: Nishinoshima Island)は、日本小笠原諸島にある無人火山島父島の西北西約130キロメートルに位置する。活火山であり、有史以降も何度も噴火している。特に1973年5月から翌年の1974年5月にかけての噴火と、2013年11月以降の噴火などではいずれも、噴出物が堆積して新たな陸地が生じるほどの激しい活動となり、新しい陸地は従来の西之島と一体となって[4]陸域面積が顕著に拡大した。

英語でもNishinoshimaと表記するが、Rosario Islandとも呼ばれる[5]。これは1702年にこの島を発見したスペイン帆船「ロサリオ号」にちなむ呼称である。所在は、東京都小笠原村父島西之島。

2011年に島全域がユネスコ世界自然遺産小笠原諸島」に登録された。
概要

火山島として非常に活発な火山活動が2022年10月現在も継続している[6][7]火山噴出物によって海面近くの噴火口周辺に新しい陸地が生じたり、溶岩流などが海岸に達して島が広がったりすることもある。

観測史上では1973年2013年に島近傍で噴火し、それぞれ陸地を形成した。いずれの噴火においても当初は沖合に新しい陸地が出現して「新島」などと報道されたが、いずれも後に西之島と一体化している。2013年の噴火においては、1年以上にわたり非常に活発な噴火活動が見られていた。2016年5月頃から地殻変動観測で火口周辺の沈降と考えられる変動が見られ、同年6月には火山ガスの放出量の低下も確認されていたが、2017年4月20日より再び噴火活動が活発化し、2020年時点で噴気や周辺海域の変色が続いている[8][9]。溶岩流の海への流入による陸域拡大と同時に、波浪による侵食も受け、面積は頻繁に変動している(2020年8月14日時点の島の面積は約4.1平方キロメートル)。
地理2018年1月17日時点での火砕丘のステレオ写真
写真上方が北。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

西之島は東京の南約1,000キロメートル父島の西約130キロメートルの太平洋上に位置する[4]火山列島(硫黄列島)および七島・硫黄島海嶺に属しており、付近では海底火山活動が活発である。

西之島の本体は海底比高4,000メートル[4]、直径30キロメートルの大火山体で、山頂部がわずかに海面上に露出して陸地を形成している。2013年の噴火前までは西之島の東南海面下に旧火口があったが、2013年に旧火口の西方海面下に出現した新たな火口から噴火したことで旧火口は埋め立てられた。その後、この新火口群のうち第7火口が火砕丘を形成し、西之島の最高地点となっている。2016年時点では、島の北方沖約1,200メートルおよび西方沖約400メートルまでは水深5メートル未満の浅瀬である。浅瀬の先は急峻な斜面となり、数千メートルの深海に至る[10]

地表は安山岩および玄武岩質安山岩の溶岩流スコリア火山灰に覆われている。

2020年6月時点における面積は約4.1平方キロメートル[2]で、最高標高は約200メートル[3]で、海底からの比高は4,000メートル程度である[4]
生態系

西之島は海洋島であり、2008年時点では1973年の噴火後まだ時間が経過していなかったため植物相は貧弱で、スベリヒユオヒシバ、イヌビエ、グンバイヒルガオハマゴウ及びツルナの6種しか確認されていなかった[11]。これらの多くは、種子海流散布を行う植物である。

動物では、アカオネッタイチョウアオツラカツオドリオオアジサシオーストンウミツバメカツオドリオナガミズナギドリセグロアジサシなどの12種類の鳥類の生息、そのうち9種類の繁殖が確認されていた[11]。その他にはアリクモカニの生息が確認されていた[11]1975年には新ニシノシマホウキガニが発見された(同種は他の島にも生息が確認されたが、西之島では噴火活動によりその後の生息が確認されていない)。それ以前にはアホウドリも生息していたとされる。周辺海域の海生哺乳類としては小型の鯨類コビレゴンドウや数種のイルカ類)は噴火の前後に確認されている[12][13][14]

2008年8月1日に国指定西之島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積 29ヘクタール)。島全域が特別保護地区である。島に人は居住しておらず、調査のための上陸時には種子を含む外来生物を持ち込まないため海に潜って身体を洗い流すルールとなっている[4]

2013年11月以降の継続的な噴火活動で流れ出した溶岩により、1973年の噴火以降に形成された島の全域が覆われ、2015年時点で植物の存在が確認できない状況となった。その後は飛来する海鳥などによって種子が運ばれた植物や昆虫などが定着。海鳥の排泄物および腐敗分解された死骸から表土が再生しつつある[4]。動物については2015年合同調査で、1ヘクタール程の僅かに残る旧島部分でアオツラカツオドリの繁殖が行われている事が確認された(それまでの10年間で唯一子育てが確認されていた)。

環境省が2016年10月25日に発表した同月20日の上陸調査結果などによると、鳥類ではアオツラカツオドリが定着していると見られるほか、カツオドリや渡り鳥のアトリハクセキレイ、昆虫はトンボハサミムシの幼虫、植物はオヒシバやイヌビエなど3種類が確認された[15][16]

2019年9月3日から9月5日にかけての環境省による上陸調査では、鳥類5種の繁殖と、節足動物トビカツオブシムシを含む昆虫やダニなど)33種、カニ2種、貝類4種の生息が確認された。アオツラカツオドリは60羽以上おり、尖閣列島を超える日本国内最大の集団となっている[4][17]。なお、噴火後の西之島において、ワモンゴキブリが大量に発見されている。ワモンゴキブリは噴火前に漁業者の船などから島に流入し、噴火後に生き残った個体が増加したものと考えられている。環境省は島全体の生態系への影響を懸念しており、ワモンゴキブリが繁殖した原因を分析するとともに、駆除するなどの対応を検討している[18]。カツオドリの生息数は約1,400羽と噴火前とほぼ同水準に回復。オナガミズナギの成鳥は夜間だと400羽以上に達し、も見つかった。噴火後の西之島は、人間の干渉を極力排して生態系が回復・形成される過程を観察する場とされている(「噴火後初の上陸調査」で後述)[19]

2019年9月上陸調査の参加者は、を捕食する海鳥と、海鳥の死骸や食べ残し、他の節足動物などを餌にできる動物が定着し、植物性の餌に依存していたトノサマバッタやオオシワアリが姿を消したと分析している[4]

2021年7月7日から16日にかけて環境省が無人航空機と海中ロボットによる調査を実施した。陸上では海鳥5種(カツオドリやアジサシなど)が繁殖しており、周辺の海底ではヒドロ虫や、新種の可能性がある1種を含むコケムシなど80種以上の生物が確認された[20]
海底火山の活動による地形の変化.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼:1972年以前の西之島(旧島)の写真の画像提供をお願いします。(2022年7月)

西之島(旧島)は4,000メートル級の山体を持つ海底火山の火口縁がわずかに海面上に現れた部分にあたる。1972年以前は、西之島は面積0.07平方キロメートル、南北650メートル、東西200メートルの細長い島だった。この海底火山は噴火の記録はなかったが、1973年に「有史以来初めて[21]」(気象庁による表現。人類の観測史上においてはの意)噴火し、大量の溶岩流火山噴出物が海面上まで堆積して西之島付近に新しい陸地を形成した。この陸地は「西之島新島」と命名され、当時は「新島ブーム」とマスコミに報道されるなど大きな話題を呼んだ。西之島の東南側の火山体の火口は、1911年の測量では深さ107メートルあったが、この噴火により50メートル未満まで浅くなった。

1年に及ぶ噴火が終息すると、新島は南側からの波で強い侵食を受け、最初の数年は年間60 - 80メートルの速さで海岸が後退した。新島は波で削られて失われ、火口や標高52メートルの丘も消失したが、削られた土砂が波で運ばれて湾内に堆積した。堆積の速さが侵食を上回ったため、侵食されながらも面積が増加した。1982年には湾の一部が海から切り離されて湖になり、1980年代を通して堆積を続け、1990年頃には湾口は無くなり完全に一体化。旧島北端を頂点とした、釣り鐘のような四角形状の島になった。形状が安定すると面積は減少に転じ、1999年時点での新島部分の面積は0.25平方キロメートル、最高標高は15.2メートルである。旧島部分を含めた西之島全体の面積は0.29平方キロメートル、最高標高は25メートルであった。2003年時点で島の大きさは、東西約760メートル、南北約600メートル程で、安山岩を主体としていた。

島の付近では数年おきに海水の変色や蒸気の吹き上げが観測されていたが、2013年には旧火口の西方に出来た火口が噴火し、40年ぶりに新しい陸地を形成した。1973年と2013年のどちらも、当初は西之島から海面を隔てた「別の島」であったが、溶岩の噴出や堆積が進んで西之島と一体化している。2013年の噴火は1973年の噴火と比較して溶岩流出量が非常に多く、1973年の噴火による堆積で水深10メートル未満の浅瀬が広がっていたことにより、島の急激な成長に繋がった。一連の活動は2020年時点でなおも継続しており、陸地の規模は変化するとみられる。西之島から噴出しているマグマについて、伊豆諸島の島である三宅島八丈島青ヶ島鳥島などは玄武岩マグマを噴出するが、西之島では大陸地殻に似た安山岩マグマを噴出しているため、大陸形成過程の謎を解明する手がかりになるのではと研究者が注目している[22]


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