.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}西丸 四方(にしまる しほう)
生誕西丸 四方(にしまる しほう)
1910年2月13日
日本・東京府
死没 (2002-02-14) 2002年2月14日(92歳没)
日本
居住 日本
国籍 日本
研究分野精神医学
精神病理学
研究機関東京大学医学部
信州大学医学部
愛知医科大学医学部
東京女子医科大学医学部
出身校東京帝国大学医学部医学科
医学博士(東京帝国大学、1947年)
プロジェクト:人物伝
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西丸 四方(にしまる しほう、1910年2月13日 - 2002年2月14日)は、日本の医学者、精神科医。信州大学名誉教授、愛知医科大学名誉教授。専門は精神病理学。医学博士(東京帝国大学)[1][2]。
村上仁、島崎敏樹らとともに、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である[3]。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。また、老荘思想を心理療法に応用するなどのユニークな試みでも知られる[4]。草間彌生を見いだし、その後の良き理解者として終生交流があった。 島崎藤村の姪である西丸いさの長男。父方の曾祖父は西丸帯刀(旧姓:野口)[8]。西丸帯刀の伯父「野口北川」の長男の孫が野口雨情[9]。野口家の祖である楠木正季の妹の子が観阿弥という説がある[9]。
来歴
1910年 - 東京府下谷根岸に生まれる[5]。
1914年 - 父の仕事の関係で樺太の大泊に住んでいたが、4歳のとき肺炎で死にかけ、北茨城の父方の祖父母の元に預けられる[5]。北茨城大津小学校から東京青山小学校を経て[6]、旧制麻布中学校、浦和高等学校理科乙類卒業。
1936年 - 東京帝国大学医学部医学科卒業
1936年 - 東京帝国大学精神科・副手を1年半と勤め、のち、病気休業[7]
1941年 - 府立松沢病院医員
1946年 - 東京大学講師、東京女子医学専門学校講師
1947年 - 医学博士(東京帝国大学)[2]
1948年 - 国立東京第一病院医長
1950年 - 信州大学医学部精神科初代教授。1969年に退職して名誉教授[7]
1972年 - 愛知医科大学医学部精神科主任教授、1978年に退職して名誉教授[1]。
2002年 - 逝去
家系