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出典検索?: "襄州区"
中華人民共和国 湖北省 襄州区
襄陽市中の襄州区の位置襄陽市中の襄州区の位置
簡体字襄州
繁体字襄州
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カタカナ転写シャンヂョウ
国家 中華人民共和国
省湖北
地級市襄陽市
行政級別市轄区
面積
総面積2,306 km²
人口
総人口(2004)10.57 万人
経済
電話番号0710
郵便番号441100
行政区画代碼420607
公式ウェブサイト: ⇒http://www.hbxy.gov.cn/
襄州区(じょうしゅう-く)は中華人民共和国湖北省襄陽市に位置する市轄区。古くから交通の要衝等の重要拠点として大きな都市が形成されていた。2010年12月、襄樊市が襄陽市に改名され、それに伴い襄陽区が襄州区に改名された。 漢水の中流域に当たり、その南岸にあって、樊城と対峙している。古来より、関中(陝西省)、中原(河北省・河南省)、長江中流域という三つの重要な地域を結ぶ要の位置にあり、また、漢水沿岸の最大の都市として、交通の要衝の位置を占めていた。 漢初に襄陽県が設置されたのが行政区画の初見である。新朝に相陽県と改称されたが、後漢が成立すると再び襄陽県に戻されている。後漢末に荊州の治所が襄陽に定められて以来、この地の政治的、軍事的な重要度は高まり、三国時代には魏・呉・蜀(蜀漢)の重要な係争地の一つとなり、襄陽の戦いがあった。なお、諸葛亮が当初寓居していたのは、襄陽西北郊外の隆中山である。 南宋には襄陽府が設置され、北方の金朝・元朝に対する前線基地となり、激しい攻防戦が繰り広げられた。著名な回回砲が用いられたのは、元朝の南宋に対する、5年間にわたる襄陽攻略戦(襄陽・樊城の戦い)でのことであった。最終的には漢水封鎖により襄陽・樊城の連絡を絶たれた宋軍は襄陽を失っている。襄陽の河岸は船舶航行に不向きであり、商業は対岸の樊城の方が盛んであった。それに対して、襄陽は政治(行政)・軍事・教育の中心地となっている。元朝以降も政治的・軍事的重要性が認められ、元朝は襄陽路、明朝は襄陽府を設置している。
地理
歴史