裴迪(はい てき、生没年不詳)は、中国・五代後梁の武将である。本貫は河東郡聞喜県(現在の山西省運城市聞喜県)、名族の出身である。 財務に精通しており、簿書を能くしたため、唐末に裴?の属官となり、?宋?等州供軍院使、租庸招納使を務めた。 後梁の太祖となる朱全忠が宣武に鎮すると、招かれて節度判官となった。裴迪は兵賦徴調を管掌し、太祖自身は兵を統括するのみで、財政や獄訴は全て裴迪が管轄した。 朱全忠が西の方の岐を征討した際、その隙に王師範
生涯
伝記資料
『新五代史』巻43
更新日時:2018年9月18日(火)08:48
取得日時:2019/09/10 08:20