補給処(ほきゅうしょ)とは、防衛省本省に置かれる陸上自衛隊、海上自衛隊または航空自衛隊の機関のひとつ。 補給処においては、自衛隊の需品、火器、弾薬、車両、船舶、航空機、施設器材、通信器材、衛生器材等の調達、保管、補給または整備及びこれらに関する調査研究を行っている。補給処の長は処長という。処長及び副処長には、自衛官が充てられる。また、補給処には、支処または出張所を置くことができる。 1998年(平成10年)3月以前には、「中央補給処」として武器補給処(霞ヶ浦駐屯地)・需品補給処(松戸駐屯地)・施設補給処(古河駐屯地)・通信補給処(大宮駐屯地)・衛生補給処(用賀駐屯地)の5つの補給処及び資材統制隊(市ヶ谷駐屯地)を置いていた。そして、東部方面区を除く4方面区に「地区補給処」を置いていた(東部方面区には地区補給処が置かれず、中央補給処自身がその役割を担っていた)。 1998年(平成10年)3月26日に、5つの中央補給処及び資材統制隊を統合して東部方面区に「補給統制本部」及び関東補給処を、東部方面区以外の地区補給処を「補給処」と改称した5個補給処体制に変更した。補給処長がその処務を掌理するに当たっては、補給統制本部長の統制に従わなければならない。処長は陸将補(二)[注 1]、副処長:1佐(一)が充てられる[注 2] 警察予備隊 保安隊
概要
陸上自衛隊の補給処
中央補給処と地区補給処
補給処
陸上自衛隊北海道補給処(島松駐屯地)
陸上自衛隊東北補給処(仙台駐屯地)
陸上自衛隊関東補給処(霞ヶ浦駐屯地)
旧武器補給処を母体に通信・施設・需品・衛生補給処を統合して発足。改編後も東部方面区のみならず中央兵站基地としての役割を担う。発足当時の補給処長は将補(一)だったが、2008年3月から陸将職となっている。
陸上自衛隊関西補給処(宇治駐屯地)
陸上自衛隊九州補給処(目達原駐屯地)
全国の補給処で唯一、警備隊区を有しており、佐賀県鳥栖地区の2市4町を担当している[1]。
陸上自衛隊の補給処の沿革
1951年(昭和26年)
2月15日:警察予備隊宇治管理補給部隊が宇治駐屯地に発足。
9月18日:警察予備隊宇治管理補給部隊が警察予備隊宇治管理補給廠に改編。
1952年(昭和27年)
1月28日:苗穂駐屯地において北海道地区補給廠が開設。
3月10日:北海道地区補給廠が警察予備隊総隊総監部直轄となる。
7月20日:警察予備隊施設補給廠が松戸駐屯地に設置[2]。
1952年(昭和27年)
10月15日:警察予備隊が保安隊に改編。
北海道地区補給廠が保安庁長官直轄となる。
警察予備隊宇治管理補給廠が保安隊関西地区補給廠に改称。
保安隊九州地区補給廠として福岡駐屯地において編成完結。
警察予備隊施設補給廠(松戸駐屯地)が保安隊施設補給しょうに改編。
保安隊武器補給しょう、通信補給しょう、衛生補給しょうが旧・立川駐屯地(現東立川駐屯地)に新編。
12月1日:島松駐屯地開設により、苗穂駐屯地が廃止され島松駐屯地の分屯地となる。
12月3日:需品補給しょうが宇治駐屯地から松戸駐屯地に移駐[3]。
12月10日:北海道地区補給廠が苗穂分屯地から島松駐屯地へ移駐。
1953年(昭和28年)
2月26日:北海道地区補給廠の編合部隊等の移動及び集結を完了。
5月30日:北海道地区補給しょうに改称。
1954年(昭和29年)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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