補助人工心臓
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補助人工心臓
治療法
左室から大動脈血液を拍出する左室補助人工心臓(LVAD)。皮膚を貫通するドライブラインによって体外のコントロールユニットとバッテリーパックに接続されている(イラストの機種は植込型VADのHeartMate XVE)。
ICD-9-CM37.6
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左室補助人工心臓(LVAD)が補助する血流の図解。ポンプの働きによって左室心尖部から大動脈に血液を駆出している。

補助人工心臓(ほじょじんこうしんぞう、: ventricular assist device: VAD または : ventricular assist system: VAS)[注釈 1]とは、重症心不全患者の心臓左室または右室、あるいは両心室の働きを補助する人工臓器である。空気駆動ないし電気駆動によって動作するポンプ、ポンプによって心臓から血液を吸引する脱血管、吸引した血液を動脈に送り出す送血管、そしてポンプの動力源となる電源供給部などから構成される。完全置換型人工心臓(total artificial heart: TAH)とは異なり自己の心臓を温存した形で心機能を補助する目的で使用され、大動脈内バルーンパンピング(IABP)や経皮的心肺補助(PCPS)と同じく、心機能の一部を代替する働きを持つ補助循環の一種である。
開発の歴史と現況
完全置換型の問題点とVADへの移行

人工心臓開発の歴史は、1935年にチャールズ・リンドバーグアレクシス・カレルにより試作され後の人工心臓の原型となった、世界初の完全置換型人工心臓(TAH)である「カレル・リンドバーグポンプ」に始まる[1]。その後1957?1958年にかけてクリーブランド・クリニック(英語版)にて阿久津哲造とウィレム・コルフ(英語版)により完全置換型人工心臓の初の動物実験が行われ、イヌに対して植込み実験を行い約1.5時間の生存に成功した[2]。1960年代から人工心臓開発が米国の国家プロジェクトとして、マイケル・ドベイキー(英語版)およびプロジェクトの作成に携わった能勢之彦らにより開始され[3][4]、同じく1960年代より始まった心移植の代替治療となることを目指して研究が進められた。しかし長期耐久性や血栓形成などの問題で当時の完全置換型人工心臓には限界があり、人工心臓開発の目標は完全置換型から、並行して開発が進められていた補助人工心臓へ移っていくこととなった[5]
VADの開発と臨床応用

補助人工心臓(VAD)は1963年にドベイキーがドミンゴ・リオッタ(英語版)およびスタンリー・クロフォードの開発した左室補助人工心臓(リオッタ・クロフォード型LVAD)を42歳の患者に使用したのが初の臨床応用例である[6][7]。リオッタは完全置換型人工心臓の研究と並行してVADの臨床応用に向けた研究開発を1961年よりベイラー医科大学にて行っており[7][8]、その他1969年にリオッタ・クーリー型TAHが初めて臨床応用されている[9]

その後世界で研究開発が進められてきたが、当初は体外設置型VADが短期使用を目的として用いられてきた。しかし免疫抑制剤サイクロスポリンの登場により心移植が急速に普及するとともにドナー不足の問題が顕在化し、心移植を待つ重症心不全患者が移植待機の期間中を如何にして乗り切るかが問題となった。そこで心移植までの「つなぎ」として、患者に適合するドナーが現れるまでの期間の循環補助としてVADを用いる移植への橋渡しとしての使用法(ブリッジ使用)が発展してきた[10][11][12]。そして1990年代に在宅治療可能な第1世代拍動流植込型VADが臨床導入され、重症心不全に対して標準的に用いられるようになった。

心移植代替治療としての永久使用(DT: destination therapy)の適応に関しては、2002年に第1世代植込型VADのHeartMate VEが、2010年に第2世代植込型VADのHeartMate IIがアメリカ食品医薬品局(FDA)により永久使用の適応として承認された(ただし長期耐久性に限界がある点を考慮し、高齢悪性腫瘍の合併など心移植適応とされない症例が適応とされている)[13][14]。その後植込型VADの欠点を改善すべく開発が進められ、第2世代植込型VADは接触軸受で定常流ポンプの回転羽根車を支えるのに対し、新たに開発された第3世代植込型VADは磁気浮上や動圧浮上といった非接触軸受の機構を持つようになった。第3世代植込型VADの非接触軸受は接触軸受と比べて、軸受部の熱の発生による血栓形成や摩耗を軽減することによって、耐久性に優れる特徴を持つ[3]
日本における展開

一方日本では、急性心不全に対する1ヶ月程度の使用を目的として、1980年に東大ゼオン型VADの、1982年に国循東洋紡型VAD(後のニプロVAD)の臨床使用が始まった。これら2機種の体外設置型拍動流VADはいずれも1990年に製造販売承認を受け、1994年より保険適用となり、以来多くの施設で用いられてきた[15][16][注釈 2]。その後2004年にNovacor LVADが一時的に保険償還されたが、日本での販売時点で既に旧式となっており[注釈 3]わずかの症例で保険診療として使用されたのみで2年で市場から撤退、いわゆる「デバイスラグ」の典型例となった[17][18]厚生労働省に設けられた「医療ニーズの高い医療機器等の早期導入に関する検討会」にて、2007年に「医療ニーズの高い医療機器」として指定されたHeartMate XVEは2009年に製造販売承認されたが、やはり承認時すでに時代遅れとなり保険償還申請は行われなかった。そのため同検討会ではこのような経緯を教訓に審査・承認を迅速化する方向で検討が進められた。その後、第2・第3世代定常流植込型VADであるDuraHeartとEVAHEARTが臨床試験開始からそれぞれ5年半、2年で製造販売承認が得られ、いずれも2011年より保険償還された。続いてHeartMate XVEの後継機であるHeartMate IIが2013年4月に、Jarvik 2000が2014年1月に製造販売承認に至り、ようやく日本の重症心不全治療機器の選択肢が欧米と同等水準にまで達した[19]

また2010年臓器移植法が改正され小児ドナーからの心移植が可能となり、小児心移植への橋渡しとして小児用VADの役割が今後日本でも重要となるが、小児に使用可能で欧米で既に市販されているベルリンハート(ドイツ語版、英語版)EXCORの医師主導臨床試験が2012年に日本でも開始され、東京大学医学部附属病院で初のEXCOR植込み手術が行われた[20]。欧州でJarvik乳児用ポンプの臨床試験が2012年に開始されたが、日本でもNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)のプロジェクトとして小児用第3世代軸流型定常流植込型VADの開発が進んでいる[3]
今後の開発の課題

今後の開発の課題として、短期使用VAD・小児用VAD・遠心ポンプ植込型VADの小型化が挙げられる。米国では救命目的の1週間から1ヶ月程度の短期補助(後述のBTD: bridge to decision)に使用可能なデバイスとして、体外設置型第3世代遠心ポンプCentriMagや経皮的VADであるImpella、TandemHeartが普及してきており、特にImpellaとTandemHeartは血管内治療の手技を用いた経皮的VADとして循環器内科救急領域に広がっており[21][22]、日本では2017年よりImpellaの臨床使用が開始された[23]。日本でも、国産の遠心ポンプ型植込型VAD(DuraHeart、EVAHEART)の小型モデル化に向けた開発が進んでいる[3]
種類体外設置型VADであるベルリンハート(ドイツ語版、英語版)EXCOR。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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