この項目では、明治時代初期の地方機関について説明しています。司法権を行使する機関については「裁判所」をご覧ください。
地方制度としての裁判所(さいばんしょ[1])は、1868年(慶応4年)に、京都の新政府が諸藩に属さない直轄地を治めるために設けた役所である。旧幕府の奉行所等が管轄していた民政、裁判等の事務を行うものであり[2]、三権分立の立場で司法権を行使する裁判所とは性格が異なる。 この裁判所は、江戸幕府の奉行所と郡代支配所の機能を引き継ぎ、当座の統治の空白を埋める必要から設けられたものである[3]。設置の当初は戊辰戦争の最中で、新潟、佐渡、箱館は新政府の支配の外にあった。 政府は、裁判所に総督と副総督を置いた。慶応4年(1868年)1月27日に大坂に設けたのを初めとして、個別に総督、副総督の任命を発令し、同年4月までに12の裁判所を設けた。大坂、兵庫、長崎、大津、京都、横浜、箱館、新潟、佐渡、笠松、府中、三河である。 政府は、同年閏4月21日に政体書を出して、府藩県三治制を敷くことを布告した。これに従って、各裁判所は順次、府または県に変更されていった[4]。 江戸には同年5月に江戸府[5] [6]を置いたものの、上野戦争後に江戸鎮台を設置し[7] [8] [9]、このとき旧幕府の寺社奉行所は社寺裁判所(しゃじさいばんしょ[10])、町奉行所は市政裁判所(しせいさいばんしょ[11])、勘定奉行所は民政裁判所(みんせいさいばんしょ[12])と改め、江戸鎮台がこれら三つの裁判所を管した[4] [2] [7] [8] [13]。同年7月に鎮台府を鎮将府に改めて[14] [15] [16] [17]それ以後に社寺・市政・民政の各裁判所は廃止され[18] [19] [20]、鎮将府が管轄する駿河以東13か国[注釈 1]の府藩県に順次その事務を移した[22] [23] [24] [25] [26] [27]。
概要