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出典検索?: "袴" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年11月)
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この項目では、伝統的な衣服について説明しています。徳利の受け皿については「徳利」をご覧ください。

袴(はかま)とは、日本で下半身に着用する伝統的な衣類の一つ。
概要行燈袴で馬に横乗りする女性。明治時代

腰に巻いていた(も、まとう意)から発達して、穿(は)くようになった「はくも」というのが語源といわれる[1]

現代流通している袴は、宮中行事冠婚葬祭など伝統的な場における正装神職など特定の職業における制服武道など特定の活動における稽古着作業着、地域での祭りなど特定の行事における衣装私服などさまざまな利用などが上げられ、近代以降は洋服の影響および産業の発達から用途目的に適するよう改良した様式から、比較的伝統的な様式など双方が活用されている。

幅広い形式を「はかま(又は(語彙)袴)など」と称し、都市部から農村部、神社の活動、御所における装束、武士など多岐にわたる人々が公私において使用したボトムスのため、多種多様な形態と内容を持つが、概括的には下半身にはく和服のことである。
構造

現代における一般的な袴(馬乗袴)は、前後二枚の台形状のの斜辺の下半分を縫いあわせ、さらにより下の部分がキュロットスカート状になるように縫製した構造になっている。足を入れても充分に余裕があり、布はにゆくほど大きくあまる構造になっている。

前布には襞(ひだ/ひだめ)を取り、通常外側から順に一の襞、二の襞、三の襞と呼ぶ。後布は左右に分かれており、襞は取らない。後布はその上辺に板や厚紙を入れた小台形の部分を持ち、これを腰板と呼ぶ。後布は前布より腰板の分だけ長くなる。

前布、後布には、それぞれ最上部(後布の場合には腰板の底辺)の辺の左右から一本ずつ、合計四本の紐(実際には幅七分程度の細長い布状のもの)が出ており、これで袴を腰に固定する。前布より出るものを前紐、後布より出るものを後紐という。前紐は後紐の二倍程度の長さがある。

男子の場合、袴は普通左足から穿くものとされる(左から動作を起すのは日本の伝統的な作法)。左右の足を袴のなかに入れた後、前布、後布の順番で紐をに結びつけ、袴を固定する。前布の紐は後(帯の結び目)で一度交差させて前に出し、前布の下5cmから10cmを紐が通るように按配して(かりにこれを(a)とする)、もういちど交差させ(二度目に紐をどこで交差させるかは、右腰、左腰、前布の中央などさまざまなやり方があるが、一般的には右腰であることが多い)、後で紐を結ぶ。

次に後布の腰板を背中に密着するように按配しながら、帯の結び目の上に置く(腰板にヘラがついていれば帯のなかに差込んで固定させる)。そののち後布の紐を前に回し、上記(a)の紐の中央の部分で結ぶ。結び方は、後紐の一方(これをかりに(b)とする)が上になるようにして前紐(a)の中央部分に重ね、もう一本の後紐(これをかりに(c)とする)をさらにその上に重ねる。下から(a)→(b)→(c)の順で重ねられたら、(c)の後紐を(a)の下にくぐらせ、(a)(b)(c)三本が重なった部分に垂れかぶさるように(a)の紐の上に出す。その後(b)の紐を逆の方向に折返し(たとえば(b)が左後方から右前方に伸びる後紐だとすれば、結び目から折りかえすようにして、右前方に伸びる部分を左に引く)、もういちど(c)の紐を巻くようにして一回転させる。

次にあまった後紐を結んで始末する。袴の紐の結びかたには主なものとして以下のようなものがある。
一文字
礼装などに用いられるほか、装束の大口袴は一文字に結ぶ。十文字の縦の「|」を作らず、(b)の紐を端まで結び目に巻きつける。
十文字
江戸時代から流行した比較的新しい結びかた[2]礼装の場合にも用いられる。上記(c)の紐を5cm程度の幅に折りたたんで横の「一」とし、その中央部を結び目にあわせて(b)の紐で何度も(a)に巻きつけ、最後に縦の「|」が(a)の下から出るように按配する。
結びきり
書生結びともいう。(b)(c)をこま結びにした後、残った紐を(a)に重ね、適当なところで紐にはさんで始末する。紐の生地が薄くやわらかい袴でないとできない。明治時代の書生はこま結びにした残りのたれを始末せず、前にたらす穿きかたを好んだ。
蝶結び
衣冠束帯などの指貫に用いられる。能のシテ方金春流でも仕舞袴を蝶結びにして穿く。(b)(c)を蝶結びにしたあと、輪と垂れを(a)にはさんで始末する。また女物の袴では、蝶結びもしくは輪結びをしたあと、垂れを長く出して装飾的に穿くことが多い。


袴の下に着る長着の裾を端折ったり、袴用にひざ丈の長着をあつらえたりすることもある。
種類指貫肩衣と袴(江戸時代
装束の袴
表袴(うえのはかま)
束帯を着用する際、大口袴の上に着用した。また童女の汗衫の際には長袴の上に着用した。かえり襠の袴。
指貫(さしぬき)
裾をで指し貫いて絞れるようにした袴。公家装束においては、衣冠や束帯、狩袴、小袴、直垂の袴、水干の袴などにも用いた。
水干袴
水干着用時に用いる袴
狩袴
狩衣着用時に用いる袴
緋袴(ひのはかま)
広義では赤系統の色をした袴を指し、狭義では主に宮廷において女性が下衣として着用した袴や巫女装束の袴を指す。腰ひもに特徴があり、通常の袴は後ろ紐と前紐があるが、この袴では左脇の部分が輪になって後ろ紐と前紐がつながっている状態である。現在では十二単で着用する後ろに長く引きずる「長袴」と袴装束で着用する足首までの長さの切り袴の2種類がある。
[注釈 1]の袴
鎌倉時代頃に一部の高貴な女性(女院となった皇女などか)の間で着用された。詳細は不明だが、白い薄手のもので、松等の絵が描かれいわゆる緋袴の上に重ねた(鈴木敬三『日本の服装』)。当時の女神像や高貴な女性歌人の絵などにそれらしきものが描かれている。なお季節によって緋袴を重ねたり、袴そのものが合わせ仕立て、単仕立て といったことは平安時代から既にあった。
座敷袴礼装としての座敷袴(1920)

座敷袴は作業着であった山袴(襠〈まち〉がある襠有袴〈まちありばかま〉)の対義であり、正装など改まった席で着用する袴を意味する。明治以降に紋付羽織と組み合わせて男子の礼装に使用すようになった馬乗袴は、山袴の用途から例外となり座敷袴とされる[3][4]
馬乗(うまのり)袴
名称通り乗馬するために襠を高くし、裾が邪魔にならないようやや広く仕立てた野袴の一種である[4]身分制度があった江戸時代までは使う反物が地位によって異なり、大名はを用い、下級武士は縞模様が入った木綿が多かった[5]。いずれにしても、野袴の特徴である裾に黒色のビロードなどで裾縁を施すことを常としたが、木綿製では縁どりを省略する例もあった[5]。近代においては仙台平などの縞の地で作った場合には、紋付羽織と合せて体裁を整え礼装とする新しい方法もできた。
行灯袴
明治中期頃から女学生が着用していた袴を、裾さばきのしやすさから後に男子も略式として使用するようになった[6]。筒状のスカートの形状になっているが、外見上は襠有袴と同じとなっている。男女用で前後の襞の数が違う。女学生の制服から発達したことにより女袴と呼ぶこともある。
山袴
四幅袴・四布袴
丈が短い膝丈くらいの
半ズボン型の袴で裾がやや狭くなっている、前後各2布の計4布で仕立てる[7]


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