袁 山松(えん さんしょう、生年不詳 - 401年)は、東晋の官僚・歴史家・音楽家。本貫は陳郡陽夏県。 清の厳可均は『全晋文』卷五十六において、姓名については袁ッ(えんすう)、字が山松(さんしょう)だとしている。全晉文/卷五十六
経歴
山松は謝混の娘に求婚して妻に迎えた。顕位を歴任して、呉国内史となった。孫恩の乱のとき、山松は滬?を守備していた。隆安5年(401年)5月、滬?の城を反乱軍に落とされて殺害された。著書に『後漢書』100巻があったが現在残っているのは太平御覧に引用されて残る「光武紀論」・「章帝紀論」・「献帝紀論」の3つに過ぎない。
伝記資料
『晋書』巻83 列伝第53