表参道(おもてさんどう)は、東京都渋谷区神宮前(原宿)・港区北青山・南青山(青山)にある参道。また、その周辺一帯の通称である。
明治神宮の参道の一つ[† 1]。現在の都道413号線のうち、青山通りから原宿駅前の神宮橋交差点(明治神宮前)に至る区間が相当する。 1919年に明治神宮の参道として整備された大通りが「表参道」そのものであるが、現在ではその通りを中心とする原宿・青山地域を漫然と指して「表参道」と称することも一般的である。とはいえ、1970年代以降の実態は「kawaii文化」発祥の原宿とは違った街の発展を遂げてきた。より洗練された「モードファッション」(モード系ファッション)がその代表であり、それこそが原宿とは違う「表参道」の街の特徴である。町域としての表参道は、渋谷区神宮前と港区北青山・南青山で構成され、銀座と並んでハイブランドの旗艦店が集積しているエリアとしても知られる(「青山 (東京都港区)#企業・法人」「神宮前 (渋谷区)#施設・名所」も参照)[1]。 大人向きの高級ブランド街である銀座と比べると、若者の買い物客が多い。周辺のエリアを総称して「原宿・表参道」または「表参道・原宿」などと呼ばれる。 日本では1970年辺りまで、「若者の街」「若者文化」の流行の発信地といえば新宿だった。しかし1969年、ベトナム戦争への反戦運動として新宿駅西口地下広場で行われていた無許可のフォークソング集会を警察が強制解散させ、その後6月28日に若者達と機動隊が衝突して多数の逮捕者が出た「新宿西口フォークゲリラ事件」を機に、新宿に若者が大規模に集まることが困難となり[† 2]、同時に若者からも新宿が忌避されるようになった。 一方、1973年に渋谷でPARCOの開店があり、渋谷駅からPARCOを経て渋谷区役所・渋谷公会堂に至る「区役所通り」を「渋谷公園通り」と改称して再開発を実施したことで、日本における若者文化の歴史が大きく変化した。その流れは新宿から渋谷、さらに原宿、表参道、裏原宿、代官山へと移り変わっていった[† 3]。これは同時に、政治色の強いカウンターカルチャー[† 4]から商業主義的色彩の強いサブカルチャーへの変質でもあった[2][† 5]。 特に1980年代は、商業主義的色彩の強いサブカルチャー寄りの若者が「お金を持っていた」ため、原宿、裏原宿、代官山、渋谷よりも「表参道」が脚光を浴びた(DCブランドやカラス族など)。 街路樹が立ち並ぶ表参道周辺には、ハイブランドをはじめとしたアパレル関連の店舗および事務所、美容室などが集中する。2006年には同潤会アパート跡地に表参道ヒルズが開業した。 通りとしての表参道から、地下鉄・表参道駅周辺までの一帯を「表参道」と呼ぶことも一般的である。その範囲は広く、青山の骨董通り周辺から、青山通り、表参道駅周辺、旧原宿・旧穏田地区の表参道沿いを経て、原宿駅周辺までもが含まれる場合がある[3]。
概要表参道交差点に立つ石灯籠
モードとしての表参道
地域としての表参道