衡山郡(こうざん-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から漢初にかけて、現在の河南省南部や湖北省東部にまたがる地域に設置された。隋代に再び衡山郡が置かれた。 秦のとき、衡山郡が立てられた。 紀元前206年(漢の高帝元年)、呉?が衡山王となり、?を都とする衡山国が置かれた[1]。 紀元前202年(高帝5年)、衡山王呉?が長沙王となる[2]と、衡山国は淮南国に編入された。紀元前164年(文帝16年)、劉勃が衡山王となり、衡山国が立てられた。紀元前122年(元狩元年)、衡山王劉賜が反乱を計画した罪で逮捕されると、衡山国は廃止され、衡山郡と改められた[3]。紀元前121年(元狩2年)、衡山郡は六安国・廬江郡・江夏郡に分割された[4]。 589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、衡陽郡が廃止されて衡州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、衡州は衡山郡と改称された。衡山郡は衡陽・耒陰・湘潭・新寧の4県を管轄した[5]。 621年(武徳4年)、唐が蕭銑を平定すると、衡山郡は衡州と改められ、衡山郡の呼称は姿を消した[6]。 [脚注の使い方]
古代の衡山郡
隋の衡山郡
脚注
^ 『史記』項羽本紀
^ 『史記』高祖本紀
^ 『漢書』淮南衡山済北王伝
^ 『漢書』地理志上
^ 『隋書』地理志下
^ 『旧唐書』地理志三
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