衛生学
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衛生(えいせい、英語ドイツ語:hygiene)とは、「生」を「まもる」ことから健康をまもること、転じて健康の増進を意味する。特に清潔を保つことを意味する場合も多い。また、学問の一分野として衛生学(えいせいがく)、保健衛生学(ほけんえいせいがく)がある。
概念

衛生の概念は古代のヒポクラテスガレノスなどの著書にも記述があるが、衛生(あるいは公衆衛生)という概念が一段と重要視されるようになったのは産業革命後のヨーロッパにおいてである[1]

日本語の「衛生」という言葉は明治時代長与専斎(長與專齋)が荘子の庚桑楚篇からあてたものである[2]。長与がヨーロッパを視察し、生命や生活を守る概念として考え方ドイツ語「「ヒュギエーネ(hygiene)」が社会基盤整備を含み、国家、都市を対象としていることから、その和訳について、敢えて「養生」(「健康」、「保健」)を転用せず荘子の庚桑楚篇にある「衛生」(康煕字典体では「衞生」)の語をあてたことに始まる。
歴史
欧米における歴史

先史時代の人類の最大の脅威は急性の感染症であった[3]。このような脅威に対しては宗教的方法による祈祷を行ったり、生贄を捧げたり、掟を定めることで対処しようとした[3]

古代ギリシャや古代ローマの時代には後世の自然科学につながる自然認識が出現し、都市部の排水、灌漑、浴場、さらに家屋の清潔法など一定の衛生的知識がみられた[3]。先述のようにヒポクラテスやガレノスなどの著書にも衛生に関する記述がみられる[3]

中世からルネサンス期になるとキリスト教的思想の支配の影響から疾病は人間の原罪に起因しているという思想が強くなり学問的な進展は停滞した[4]。ただ、慈善病院における患者の隔離、ネズミの駆除、検疫といった感染症対策は行われていた[4]

近代、産業革命が始まるとともに工場を中心とする都市の発展、農村人口の都市への流入、交通機関の発達などが感染症の流行に拍車をかけた[4]。このような問題に対処するため、フランスでは1822年に高等公衆衛生会議が設立され、イギリスでは1848年に公衆衛生法が制定されるとともに衛生局が設立された[4]。また、同時期にはルイ・パスツールロベルト・コッホによる病原菌の発見、エドワード・ジェンナーによる種痘法、ジョン・スノウによるコレラの疫学的研究などの業績があった[4]
日本における歴史

明治時代以前の日本では衛生という概念に基づく事実は極めて少ない[2]。一部の慈恵的な行政や公共施設(神田上水など)のほか、貝原益軒の『養生訓』や杉田玄端の『健全学』といった書物があったにすぎない[2]

江戸時代末期から明治時代にかけて西洋から種痘法が伝来したことで西洋医学の導入が始まった[2]

1873年に文部省に医務局が設置され、翌年の1874年には種痘規則が公布された[2]。1875年に文部省の医務局は内務省に移管され内務省医務局になった[2]。1938年、厚生省が設置されるとともに国立公衆衛生院が設立された[2]
衛生に関する学問
衛生学

衛生についての学術体系は衛生学としてまとめられる。その範囲、手法については多岐にわたり、また境界が曖昧であるが、健康に影響を及ぼす様々なリスク推定し、予防活動に結びつける学問であるといえる。

日本における衛生学の代表的な学会は日本衛生学会が挙げられる。その総会における演題分類によれば、以下のカテゴリーを衛生学の対象としているといえる。感染症の征圧や栄養状態の改善を主な目的としたかつての衛生学に加えて、現代の生活習慣病、老人保健、環境問題などにも対象を広げ、手法も遺伝子分子生物学を応用するなどの展開を見せている。

リスク要因:環境生理・物理的環境 - 感染症 - 無機及び有機有害物質 - 生活習慣病 - 骨代謝 - 健康増進・体力・運動 - 健康管理・疲労 - 精神保健・ストレス - 難病・特定疾患 - 免疫 - 遺伝子


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