衛君 姫起
衛
第32代公
王朝衛
在位期間紀元前477年
都城帝丘
姓・諱姫起
生年不詳
没年不詳
父霊公
衛君 起(えいくん き、生没年不詳)は、衛の第32代君主。霊公の子。在位中に放逐されたため諡号がなく、衛君起と呼ばれる。 荘公3年(前478年)10月、晋が衛を攻撃し、荘公が出奔したため、衛の国人は公孫斑師(はんし)[1]を立てて衛君とした。しかし、12月に斉が衛を攻撃して斑師を捕らえ、代わりに公子起を立てたため、公子起(以降は衛君起と表記)が衛君となった。 衛君起元年(前477年)夏、卿の石圃が衛君起を放逐し、衛君起は斉へ出奔した。これにより出公が斉から戻ってふたたび衛君となった。
生涯
脚注^ 襄公の孫。『左伝』では般師と表記。
参考資料
『春秋左氏伝』(哀公十七年、十八年)
司馬遷『史記』(衛康叔世家第七)
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