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本名島谷 洋平(しまたに ようへい)[1]
ニックネーム街ぴん、ぴんちゃん、ガメキン、カバ等
別名義ぴっぴ
生年月日 (1985-02-06) 1985年2月6日(39歳)
出身地 日本・大阪府堺市[1]
血液型B型[1]
身長178cm[1]
言語日本語
方言関西弁
最終学歴神戸学院大学
芸風漫談
事務所トゥインクル・コーポレーション
活動時期2004年[2] -
配偶者あり
公式サイト街裏ぴんく - トゥインクル・コーポレーション
受賞歴
2019年 第7回トゥインクル1グランプリ 優勝
2022年 Be-1グランプリ2022 優勝
2023年 第8回トゥインクル1グランプリ 優勝
2024年 第22回R-1グランプリ2024 優勝
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YouTube
チャンネル
街裏チャンネル
活動期間2017年 -
ジャンル漫談
登録者数2.25万人
総再生回数351万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002024-04-07-00002024年4月7日時点。
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街裏 ぴんく(まちうら ぴんく、1985年2月6日[1] - )は、トゥインクル・コーポレーションに所属する[1]日本のお笑い芸人である。本名は島谷 洋平(しまたに ようへい)。R-1グランプリ2024王者[3]。 幼少期は食も細く引っ込み思案で友人も少なかった。家では1人で人形遊びをしていたという[4]。小学4年生のお楽しみ会で藤井隆のギャグを披露し一気にお笑い担当に躍り出る。高校2年で後に漫才の相方となる友人のYoung Yujiro[5] に出会い、その友人の勧めでR&Bのクラブシンガーとして活動[6]。MCにてすでに漫談を披露していた[7]。 2004年、神戸学院大学在学中に漫才コンビ「裏ブラウン」を結成する[8][2]。初舞台は吉本興業のオーディション[9]で、結成2年目の2005年にかわら長介主宰の「魁塾」へ入塾して2期生として卒業[10]する。塾生の中で裏ブラウンだけが芸人だった。結成3年でコンビを解散[11]する。 2007年[12]、「街裏ぴんく」名義で漫談芸を中心にフリーのピン芸人として活動を開始[11]する。芸名はコンビ時代の「裏ブラウン」を引き継いだもの。いかつい風貌とのギャップを狙い、いかつくない色として「ピンク」を選ぶが、「裏ぴんく」はいかがわしすぎるため「街」をつけた[13]。松竹芸能にスカウトされ、1年弱の間所属した[6]。退所後は吉本新喜劇の座員を目指しオーディション最終選考まで残るも落選する。島木譲二に弟子入りを志願するが叶わなかった[9]。 2012年に上京[14]。浅草リトルシアターを中心に修行を積む[15]。オフィス北野、タイタンなどの事務所への所属を模索するも叶わず、悪役俳優事務所高倉組[16]を経て、2014年5月よりトゥインクル・コーポレーションに所属。 2017年8月、TBSラジオ「JUNK爆笑問題カーボーイ」の第2回地下芸人まつりで優勝[17]。 2019年6月2日からRadiotalkで「UチューダイセンSO」を始める。2020年10月11日に「ラジオ・イノシシ」、2023年10月6日に「さっきまで寝てました!」それぞれ改題した[19]。 2019年10月、事務所ライブ「第7回トゥインクル1グランプリ」で優勝[20]。 M-1グランプリ2021でインタビューマン山下(元・ジャリズム)とユニット「山下ぴんく」として3回戦進出[21]。 2022年2月20日に開催された「R-1グランプリ」の出場資格がない芸歴11年目以上の芸人のお笑いグランプリ「Be-1グランプリ」で優勝[22][23]する。 2024年3月9日 、この年から芸歴制限が撤廃されたR-1グランプリに初の決勝進出[24]。ファーストステージは471点を獲得して2位でファイナルステージ進出。ファイナルステージでは陣内智則、バカリズムに連続で吉住に連続で票を取られるもその後の小籔千豊、野田クリスタル、ハリウッドザコシショウから連続で票を取り優勝[25]。 体験談という体で奇妙な設定・ファンタジックなストーリーを語る漫談を専門とする[26]。本人曰く「地に足のついたファンタジー漫談」[27]、「架空漫談」[13]。 当初はフリップ、キレ芸、実際の出来事をベースにしたぼやき漫談をおもに扱ったが、2014年に代表作の一つとなる「ホイップクリーム」が評価され、ファンタジー漫談を追求する決意をした[28]。「日常からだんだん脱線してゆくというか、気づいたらズレてしまったような世界観にゾクゾクする」と述べている[13]。 2019年1月準決勝進出したR-1グランプリ以降「ウソ」と大きく書かれたTシャツも舞台衣装にしたが、基本はスーツに蝶ネクタイのスタイル。R-1グランプリ2024で着用したピンクのスーツは事務所先輩のやついいちろうからの提案で、作る経緯を漫談「親布」で語っている。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 漫談独演会と新作漫談会ほかについての違いは「肌で感じていってもらえれば」とradio talk(ラジオイノシシ#150)にて語っている。
経歴
幼少期から漫談家デビュー前
漫談家デビュー後
芸風
人物
身長:178cm、体重:110kg、スリーサイズ:B129cm・W129cm・H112cm)[1]
趣味は中高年観察、アホソング作り[1]。高校時代からヒップホップ観賞[29]に没頭し、バラエティ番組『フリースタイルティーチャー』(テレビ朝日)でラップバトルも披露している。
特技は甘い歌声、街で絡まれない[1]。
嫌いなジーンズはベルボトム[1]。
尊敬する人は中田ダイマル・ラケット[1]。
売れていない時代に親交が深かったミルクボーイ駒場が「こんなネタをやってるやつが結婚しているってのがおもろいから、左手薬指に結婚指輪をしながらネタをしてはどうか」と助言してくれたものの躊躇していたが、Rー1決勝に行った時点で祖母が「力をもらえ」と送ってくれた亡き祖父の形見の指輪を、それ以降は右手薬指にはめてネタをするようになった。
中田ダイマル・ラケット、ダウンタウンのウソネタ(ガキ使のハガキトーク)がきっかけでファンタジー漫才にハマった[30][13]。
全ての有名人を街中で目撃し、目撃談を話す[1]。
平成に起こった出来事をたまたま全て目撃している[31]。
木村拓哉のファン。
2023年2月から使用されているAマッソの宣伝写真に写り込んでいない。[32]
YouTubeでの漫談生配信で「亡くなった志村けんさんに再会した」のネタを披露し、自身が作り上げた虚構の世界に入り込み感極まって号泣した[33][34]。
ネットラジオGERA『スーパー3助・みなみかわ 伝家の宝刀抜かせんなラジオ』[35]で実直な性格が話題となり、その後本人不在のまま『街裏ぴんく目撃情報』というコーナーが作られた。
ライブ
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漫談独演会・漫談ライブ
街裏ぴんく独演会 第一回「これを許したからには 全て許さなければ」 - 2010年2月6日 道頓堀中座くいだおれビル4階 100人劇場
第弐回街裏ぴんく独演会「これを許したからには、全て許さなければ」 - 2010年9月24日 道頓堀ZAZA HOUSE
第参回街裏ぴんく独演会「これを許したからには、全て許さなければ」 - 2011年6月27日 道頓堀ZAZA HOUSE
「20の先に有る不確かな200000000?ショート漫談20本にお付き合いを?」- 2014年 4月1日、5月1日、6月4日、7月7日、8月10日、9月11日、10月9日、11月13日、12月21日、1月24日板橋cafe&barマーキー、12月のみ阿佐ヶ谷OIL CITY
「20の先に有る不確かな200000000 premium 街裏ぴんくの労をねぎらうファンの集い ?船上からこんにちは!?」 - 2015年2月20日 集合場所ららぽーと豊洲 船着場
第一回[注 1] 街裏ぴんく独演会「階段ぶっ壊したみたいな大嘘」 - 2015年1月16日(土) プーク人形劇場[36]