血縁選択
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血縁選択説(けつえんせんたくせつ)とは、自然選択による生物進化を考えるには、個体が自ら残す子孫の数だけではなく、遺伝子を共有する血縁者の繁殖成功に与える影響も考慮すべきだとする進化生物学理論[1]。これによって、血縁個体に対する利他行動の進化を説明することができる。血縁淘汰説ともいう。
背景

自然選択説によれば、生物は自らの子孫をより多く残すように進化すると予測される。しかし、実際の生物にはしばしば利他行動、すなわち自分の繁殖成功を下げて他者の繁殖成功を高める行動が見られる。とくに顕著なのはハチアリなどの社会性昆虫などに見られる真社会性であり、この場合には一部の個体(働きバチ、働きアリなど。一般にワーカーという)は全く繁殖せず、他個体の繁殖を助けることに一生を費やす。このような自分の子孫を残さない形質は、自然選択によってすぐに個体群から消えてしまうはずである。

自然選択説を提唱したダーウィン自身この問題に気付いていた。彼は、ウシの肉質に対する人為選択を引き合いに出して説明している。ウシの肉質がわかったときには、当のウシはすでに殺されているので、そのウシの子孫を直接増やすのは難しい。しかし育種家は、その家族を繁殖させることで、肉質のよいウシの育種を行っているのだ。この説明は驚くほど現代的な血縁選択説に近いが、一方で曖昧な部分もあった[2]

ダーウィン以降、利他行動は「集団にとっての利益」「の繁栄」によって説明されてきた[2][3]。この考えは、個体にとって不利益な形質でも、それが種や集団全体の利益となるなら、集団レベルではたらく自然選択(群選択)によって進化するというものだが、詳しく検討されたわけではなく、漠然と受け入れられていた。この状況を一変させたのがハミルトンによる血縁選択説である。
内容

従来の自然選択説がある個体自身の繁殖成功(直接適応度)のみを考えていたのに対して、血縁選択説はその個体が、遺伝子を共有する血縁個体の繁殖成功を増すことによって得る間接適応度も考慮に入れる。そして、この2つを足し合わせた包括適応度を最大化する形質が進化すると予測する[1]

血縁選択説では、血縁者に対する利他行動を促進する遺伝子を想定し、その頻度が世代を経るにつれて増えるか減るかを考える[4]。そのような遺伝子は、利他行動を行う個体自身の繁殖成功(直接適応度)を下げるために、次世代では頻度を減らすように思われる。しかし、利他行動が同じ遺伝子を持つ個体の繁殖成功を高くするのであれば、利他行動を受ける個体が多くの子孫を残すことによって、合計ではその遺伝子の頻度は増えていく(自然選択において有利になる)可能性がある。
血縁度

個体間の遺伝子の共有度合いを血縁度(近縁度とも)という[1]。より厳密には、注目する遺伝子について、集団全体でのその遺伝子の頻度と比べて、共有される確率がどれほど高いかを示す数値が血縁度である[5]。すなわち、「ありふれた遺伝子はほとんどすべての個体に共有されるから血縁度は1である」「同種内であればどの個体もほとんどすべての遺伝子を共有するから血縁度は1である」といった主張は間違いで、集団の平均をベースラインとして差し引いたものとして、血縁度を計算しなければならない[5][6]。たとえ遺伝子がほとんどの個体で共有されているとしても、あらゆる個体に対して利他的に振舞う戦略は進化的に安定な戦略ではなく、安定になるのは上記の定義での血縁度に基づく利他行動をする戦略である[7]

上の定義は複雑だが、近似的な「同祖性による定義」を用いることで、簡単に血縁度を計算することができる[5][8]。この定義では、個体間で、共通する祖先から受け継いだ稀な遺伝子を共有する確率が血縁度となる[4]。同祖性による血縁度は、家系図から計算することができる。

2倍体の有性生殖生物を例に、いくつか計算を示す。ある個体が稀な遺伝子Aを1つだけ(ヘテロで)持つとする。有性生殖によって、子には半分の遺伝子だけが伝わるので、その子が同じくAを持つ確率は0.5である。したがって、親からみた子の血縁度は0.5となる。同様に、子から見た親の血縁度も0.5である。次に、両親とも同じ兄弟姉妹間の血縁度を計算してみよう。先ほどと同様にある個体が稀な遺伝子Aをヘテロで持つ場合、Aが父親に由来する確率は0.5で、その場合に父親が他の兄弟姉妹にもAを伝えている確率も0.5なので、父親由来でAを共有する確率は0.5×0.5=0.25となる。母親由来で共有する確率も同様に計算して0.25なので、兄弟姉妹間の血縁度は0.25+0.25=0.5となる。すなわち、親子間の血縁度と兄弟姉妹間の血縁度は等しい。片親が異なる兄弟姉妹(異母あるいは異父)の場合、親のどちらかを通じて共有する可能性しかないので、血縁度は0.25となる。同じ計算により、いとこの血縁度は0.125となる。
ハミルトン則

他個体との相互作用がないときの適応度をw、利他行動によって相手が得る利益(benefit)をb、利他行動によって失う自身の繁殖成功をc(cost)、利他行動をする個体から見た相手の血縁度 (relatedness)をrとすると、包括適応度は

w + br - c

となる。利他行動が進化するのは、これが利他行動をしない個体の適応度wより大きいときなので、その条件は

br - c > 0

となる。すなわち、利他行動を受ける個体の利益に血縁度で重み付けしたものが、利他行動を行う個体が被るコストを上回るとき、利他行動が進化すると予測できる。これをハミルトン則と呼ぶ[4]。ハミルトン則はこの不等式を変形し、

b/c > 1/r

と表すこともできる。
血縁選択の事例
ヘルパーシロビタイハチクイの若い雄は弟妹の世話をすることがある。

シロビタイハチクイでは、が産まれたに留まり、ヘルパーとして親の繁殖を手伝うことがある。つまり弟妹の世話をするのだが、これは両親とも同じであれば血縁度0.5の個体に対する利他行動となる。しかし一方の親が死ぬなどして別の個体に入れ替わると、世話の相手は異母または異父の弟妹となり、血縁度は0.25に下がる。血縁選択説から予測されるとおり、助ける相手の血縁度が下がるほど、ヘルパーを止めて巣を離れる確率が高くなる[9]。血縁度が高い相手に利他行動を向ける傾向は、スズミツスイなど他の鳥でも確認されている[10]

血縁度rだけでなく、利他行動の利益bやコストcも、利他行動の進化に影響する。シロビタイハチクイでは、餌不足のときほど多くの個体がヘルパーになることも知られている。これは、餌の乏しいときには助けることの利益bが大きくなることに加えて、独立して自力で繁殖できる見込みが小さくなる(利他行動によって失う繁殖成功cが小さくなる)ことによるのだろう[11]。1歳のドングリキツツキは、縄張りの空きが少ないときほど高い割合で産まれたグループに留まってヘルパーになる。ルリオーストラリアムシクイムラサキオーストラリアムシクイでは、性比に偏っていて、若い雄が配偶相手を得るのが困難なときほど、ヘルパーを持つ群れが多くなる。これらの要因も、ヘルパーをしなかったときに得られると期待される繁殖成功cを下げるので、相対的にヘルパーになることを有利にすると考えられる[11]

ヤマセミでは、血縁度と巣立ったヒナの数を測定することで包括適応度を実際に計算した研究がある[12]。それによると、若い雄は雌を得られなかったときに親のもとでヘルパーになることで、確かに高い包括適応度を得ていた。親を援助するヘルパーほどには働かないが、血縁のない個体を援助するヘルパーもいて、彼らは援助相手の雄が死んだときに取って代わることで、翌年以降に繁殖できる見込みを高めている。ベルディングジリスは、血縁者に捕食者の接近を知らせる。
警戒声

群れに捕食者が接近したときに、警戒声と呼ばれる特有の鳴き声を出す動物がいる。この行動は他個体に危険を知らせて利益を与えるが、捕食者の注意を引いて自身を危険に晒す利他行動であるように思われる。ベルディングジリスでは、雄よりのほうがよく警戒声を発する。この種では雄は産まれた群れを離れるが、雌は群れに留まるため、雄よりも雌のほうが多くの血縁者と一緒にいるので、警戒声は血縁者を助けることになると考えられる。雌は血縁個体が近くにいるほど警戒声を発しやすいこともわかっている[13][14]プレーリードッグも、同じ群れに血縁個体がいるときに警戒声を発しやすい[15]
利他的分散

同じ場所を利用する個体間の競争が強ければ、血縁個体同士で資源を奪い合うよりも、一部の個体が分散し、他の生息場所に移動するほうがよいかもしれない。ハミルトンとメイの理論によれば、分散時の死亡率が相当に高くても、一部の個体は分散するのが進化的に安定な戦略となる。この理論が提唱された当時にははっきりした事例がなかったが、その後アブラムシの一種ドロオオタマワタムシで、一部の幼虫が産まれたゴール(虫こぶ)を離れ、他のゴールに侵入することが発見された。これは、自分が他のゴールに侵入できずに死亡するリスクを被って、産まれたゴールに残る血縁個体に競争回避の利益を与える利他行動とみなすことができる[16]
ヒトにおける血縁選択

ヒトの研究からも、血縁選択説によって説明できる行動が見つかっている。


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