血統主義(けっとうしゅぎ、ラテン語: jus sanguinis)とは、出生による国籍の定め方(生来的な国籍の取得)について、親との血縁で定める決定方法[1]。これに対立する概念として、親の国籍を問わず出生した場所が自国内であれば国籍を付与するという出生地主義(しゅっしょうちしゅぎ、ラテン語: jus soli)がある[1][2]。ただし、いずれの国も一方の方式で貫徹しているわけではなく、原則をどちらかにした上で、 補充的に他方の決定方法を取り入れている[2]。 いずれの国家においても、出生による国籍の取得を規定している[3]。しかし、この場合の国籍を取得する条件は国家において異なっており、その1つに、出生地に関わらず親と同じ国籍を取得するという「血統主義」がある[3][4]。これは、国家は血縁共同体・民族共同体としての性格を有しており、夫婦・親子から成る家族は血縁関係を基礎とするものであるため、民族の文化的伝統などと同様に国家の構成員である資格(国籍)も親から子へ伝承されるべきである、という考え方に基づいている[3]。 血統主義のうち、父母の国籍が異なる場合に、父の国籍が自国のものであれば、母の国籍に関わらず、子に自国の国籍取得を認める主義を父系優先血統主義という[5]。父母の一方の国籍が自国のものであれば、子に自国の国籍取得を認める主義を父母両系血統主義という[5]。父母の両方の国籍がともに自国のものである場合のみ、子に自国の国籍取得を認める主義を完全両系血統主義という[6]。 血統主義は自国内で生まれた子には無条件で適用されるが、一方で、自国外で自国の国籍を有する親から生まれた子については、自国の国籍が付与されない、自国の国籍の取得に一定の手続きを要する、などの規定を設ける国家もある[7]。 血統主義を厳格に適用しようとすると、父母が知れない場合、父母が無国籍である場合に、無国籍となる子が生ずる可能性がある[7]。これを防止するため、血統主義を採用する国においても、補足的に出生地主義を採用し、自国で生まれた子に国籍を付与する規定も設けることが通例とされている[7]。 日本では、1899年(明治32年)制定の旧国籍法(明治32年3月15日法律第66号)において父系優先血統主義が採用されており、1950年(昭和25年)制定の国籍法(昭和25年5月4日法律第147号)も諸外国の法律に合わせてこれを踏襲した[8][9]。したがって、当時は、父が日本人である場合には母が外国人であっても子は日本国籍を取得できたが、父が外国人である場合には母が日本人であっても子は日本国籍を取得できなかった[5][注釈 1]。 しかし、第二次世界大戦後、米軍が進駐し未婚混血児も増える中で、日本人女性から生まれて日本に居住する子が日本国籍を有しないケースが増え、沖縄の無国籍児という事例が社会問題として論議を呼び[10][11][12]、父系優先血統主義への疑念が高まった[5]。 さらに、1970年代以降に入り、1973年にフランスとフィリピンで、1974年にドイツで、国籍に関する法律を父母両系血統主義へ改正する国が現れてきた[9]。
概要
趣旨
血統主義の制限・放棄
出生地主義との併用
各国の沿革
日本
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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