血統の崩壊(けっとうのほうかい、英語: pedigree collapse)は、系譜学における用語で、祖先を共有する2人の個人間の生殖によって生まれた子孫が持つ祖先の数が、祖先を共有しない2人の個人間の生殖によって生まれた子孫が持つ祖先の数より少なくなることを意味する。ロバート・C・ガンダーソンが作った用語であり、同じ概念は系統の喪失(ドイツ語: Ahnenschwund)またはインプレックス(implex)という用語でも知られている[1]。 血統の崩壊がなければ、人の家系図は父母(2)、祖父母(4)、曾祖父母(8)などによって形成される二分木である。 しかし、そのような家系図の個体数は指数関数的に増加し、最終的には極端に多くなる。例えば、今日生きている1人の個人は、30世代以上遡った中世盛期の時代に、その時の世界人口を上回る 2 30 {\displaystyle 2^{30}} 人、10億人以上の祖先を抱えていることになる[2]。 この明らかなパラドックスは、血統の崩壊と呼ばれる共通の祖先によって説明される。家系図は全ての異なる個人で構成されているのではなく、1人の個人が家系図の複数の場所を占める場合がある。これは通常、祖先の親が互いに血縁関係がある(時には彼ら自身も知らない)時に発生する[3][4]。例えば、いとこ同士の夫婦の子孫は、通常の8人ではなく、6人の曽祖父母しか持たない。この祖先の数の減少が、血統の崩壊である。それは、家系図を有向非巡回グラフに圧縮させる。 いくつかの文化では、いとこ同士やその他の近親者間の結婚が認められ、奨励され、必要となる場合があった。これは、親族の絆、富と財産を家庭内で保つため(族内婚)、あるいは単純に潜在的な婚姻パートナーが限られた数しかいなかったためという可能性がある。王室の中で、王族同士の結婚を頻繁に要求することは、遺伝子プールを減少させ、大部分の個人は広範な血統の崩壊の結果であった。例えば、スペイン王アルフォンソ12世は、通常の8人ではなく、4人の曽祖父母しかいなかった。さらに、スペイン王カルロス4世と王妃マリア・ルイサは従兄妹婚しており、その娘マリーア・イザベッラと従兄妹婚した両シチリア王フランチェスコ1世の父フェルディナンド1世は、カルロス4世の弟だった。 彼ら兄弟は共にスペイン王カルロス3世と王妃マリア・アマリアの息子だった。 より一般的な例でいうと、多くの文化では、婚姻は小さな村で頻繁に起こり、利用可能な遺伝子プールが制限される。 レオポルト クレオパトラ7世の血統 プトレマイオス5世クレオパトラ1世プトレマイオス6世クレオパトラ2世
概要
ルイーズ・エリザベート
フランス王女フィリッポ1世
パルマ公カルロス3世
スペイン王マリア・アマリア
ザクセン選帝侯女フランツ1世
神聖ローマ皇帝マリア・テレジア
オーストリア女大公
マリア・ルイサカルロス4世
スペイン王フェルディナンド1世
両シチリア王マリア・カロリーナ
フェルナンド7世
スペイン王マリーア・イザベッラフランチェスコ1世
両シチリア王フランシスコ・デ・パウラ
マリア・クリスティーナルイサ・カルロッタ
イサベル2世
スペイン女王フランシスコ・デ・アシス
アルフォンソ12世
スペイン王
ロレーヌ公エリザベート・シャルロット
・ドルレアンカール6世
神聖ローマ皇帝エリーザベト・クリスティーネ
・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルフェリペ5世
スペイン王エリザベッタ
・ファルネーゼアウグスト3世
ポーランド王マリア・ヨーゼファ
・フォン・エスターライヒ
フランツ1世
神聖ローマ皇帝マリア・テレジアカルロス3世
スペイン王マリア・アマリア
レオポルト2世
神聖ローマ皇帝マリア・カロリーナフェルディナンド1世
両シチリア王マリア・ルドヴィカ
フランツ1世
オーストリア皇帝マリア・テレジア
フェルディナント1世
オーストリア皇帝
プトレマイオス8世クレオパトラ3世
クレオパトラ4世プトレマイオス9世クレオパトラ・セレネ1世プトレマイオス10世
プトレマイオス12世ベレニケ3世