蟹江敬三
[Wikipedia|▼Menu]

かにえ けいぞう
蟹江 敬三
本名蟹江 敬三
生年月日 (1944-10-28)
1944年10月28日
没年月日 (2014-03-30) 2014年3月30日(69歳没)
出生地 日本東京都江戸川区
死没地 日本・東京都新宿区
身長172 cm
血液型A型
職業俳優ナレーター
ジャンルテレビドラマ映画演劇ナレーション
活動期間1965年 - 2014年
配偶者既婚(1968年 - 死去まで)
著名な家族栗田桃子(長女)
蟹江一平(長男)
主な作品
テレビドラマ
影の軍団III
スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説
特捜最前線
さすらい刑事旅情編』(II - VII)
鬼平犯科帳』シリーズ
沙粧妙子-最後の事件-
おとり捜査官・北見志穂
葵 徳川三代
京都地検の女
龍馬伝
あまちゃん
教養番組
日経スペシャル ガイアの夜明け』(ナレーション)

 受賞
ヨコハマ映画祭
助演男優賞
1980年十九歳の地図
天使のはらわた 赤い教室
1991年われに撃つ用意あり
ぼくと、ぼくらの夏

テンプレートを表示

蟹江 敬三(かにえ けいぞう、1944年昭和19年〉10月28日[1][2] - 2014年平成26年〉3月30日)は、日本俳優ナレーター。本名同じ[1]

東京都[1]江戸川区小松川出身。東京都立新宿高等学校卒業[1]。オフィステブ[3] を経て、最終所属はS&A企画[1]

身長172cm、血液型A型[2]。長女は栗田桃子、長男は蟹江一平

趣味はギター[1]ゴルフ。特技は殺陣[1]
来歴

東京都立新宿高等学校に在校中、偶然に舞台に立った際の解放感をきっかけに俳優の道を志す。元々は引っ込み思案だったという[4]。卒業後、1964年の19歳の頃に劇団青俳に研究生として入団した[5]が、その後演出家蜷川幸雄らと、青俳を脱退した岡田英次らが立ち上げた「現代人劇場」へ移籍(1968年 - 1971年)。上演第一作目『真情あふるる軽薄さ』(1969年)の演技で、徐々に役者として名が知られ始める[5]。その後蜷川や石橋蓮司らと「櫻社」(1972年 - 1974年)を旗揚げする。

1970年代は演劇活動の一方、映画やテレビの時代劇刑事ドラマにも数多く出演し、猟奇的でエキセントリック悪役としての出演が多かった[注釈 1]。その野性的な魅力は、日活ロマンポルノにおいて「強姦の美学」とまで讃えられた。役柄の影響もあって、1980年代前半に当時小学生であった息子である一平がいじめを受けたこともあった[6]

熱中時代』(第2シリーズ)以降、それまでの役柄から善人役への転身に成功、個性派俳優としてのポジションを確立し、日本人俳優屈指のバイプレーヤーと称されるようになった。活動後期には悪役を演じることはほとんどなく、ベテラン刑事や気のいいオヤジの役、主人公のよき理解者となる役を演じることが多かった[5]2002年からは『ガイアの夜明け』のナレーションを担当した。

2013年12月末に末期の胃癌との診断を受け、2014年1月から体調を崩して入退院を繰り返した。2月から仕事に復帰したが、3月17日に生前最期の仕事となった『ガイアの夜明け』のナレーション収録後、3月19日に容体が急変して入院[7]。3月30日午前8時27分に東京都新宿区の病院で逝去[8]。69歳没。

蟹江の訃報を受けて、テレビ東京は『ガイアの夜明け』オフィシャルサイトにて追悼メッセージを掲載し[9]中村吉右衛門[10]松下由樹[11]能年玲奈[12] など故人とゆかりがあった人物が追悼の辞を発表した。

テレビドラマの遺作は2014年4月5日に放送された『おとり捜査官・北見志穂18』(テレビ朝日、2013年12月収録)で、放送の際には番組冒頭及びエンディング場面の2回、追悼のテロップが流された。『ガイアの夜明け』にてナレーターを務めたのは2014年3月18日放送分が最後となった[13]。また、追悼番組としてTBSテレビは予定を変更して4月14日の月曜ゴールデン枠にて『世直し公務員ザ・公証人11』を放映し[14]、NHK総合では4月18日深夜に『ひたむきな役者人生?蟹江敬三さんをしのぶ?』をそれぞれ放送した[15]

2014年5月13日、東京都の青山葬儀所でお別れの会が行なわれ、生前親しかった石橋蓮司名取裕子ら約700人が参列した[16][注釈 2]
人物

本人は生前、「子供の頃からおとなし過ぎて人前に出ていくことが全然できなかった。そのコンプレックスは今でもある」と語ったことがある[5]。また役者業について、「大人しい性格だったので芝居という独特の世界に惹かれ、特に悪役や犯人役に憧れたんです。社会から逸脱した、自分とは全く違う人生を芝居の世界で体験してみたかった」とも言っていた[5]

基本的に社交的なタイプではなく、撮影現場以外でスタッフや共演者と交流することはあまりなかった[5]。『十九歳の地図』など3作品で共演した映画監督の柳町光男はプライベートで交流があった数少ない一人で、蟹江の自宅に招くこともあった[5]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:96 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef