蟇股
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蟇股(かえるまた、「蛙股」とも表記[1])は、日本の寺社建築における部材のひとつである。2本の水平材の間にあって上にを載せる[2]、台形の斜辺に繰形をつけたような材であり[3]が脚を広げた姿に似ているところからこの名がついたといわれている[2][4]。当初においては梁の上に置かれて上の材料を受ける構造材であったが、のちに装飾部材としても用いられるようになった[5]
名称

「蟇股」の名前は、蛙が脚を広げた姿に似ているところからつけられたといわれている[2][4]。しかし、このような形状は平安時代後期にあらわれる本蟇股(後述)のみにみられるものであり、その名称も本蟇股の登場と期を一にするものであると考えられる[6]

左右に伸びた部分を「脚」、上部を「肩」、斗に接する巻き込んだ部分を「目玉(眼玉)」とよび、脚の間の彫刻部については俗に「はらわた」と呼ぶ。これらは蟇股の形状を実際の蛙にたとえた名称である[6][7]
背景
蟇股の起源としての割束.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}法隆寺回廊割束双楹塚壁画の割束描写

割束(わりづか)あるいは人字形割束(にんじけいわりづか)と呼ばれる部材が、一般に蟇股の起源であると考えられている[6][7]。割束の起源は中国であると考えられており、北魏時代の雲崗石窟代の龍門石窟などにその例をみることができる。また、朝鮮半島においても、高句麗の双楹塚(英語版)壁画に同様の部材が描かれていることが知られている[2]

こうした中国の割束は、飛鳥様式として日本に伝来した[7]。日本ではこうした割束は法隆寺金堂および回廊、食堂にみることができ、金堂のものは一材をくりぬいた曲線的なもの、後者2つは直線の部材をつなぎ合わせたものである[2]。前久夫は、こうした部材は「原始蟇股」と呼べるとの見解を示す一方で、やはりこれは扠首あるいは束に分類すべきものであり、のちの蟇股とは区別する必要があると述べる[6]
東洋建築における同様の部材韓国春川市清平寺(朝鮮語版)華盤

蟇股と同様の部材は後代の東洋建築にもみることができる。中国建築においてはこれを駝峰(中国語版)と呼ぶ[2]。同部材がラクダのこぶに似ていることに由来するこの名称は[2]北宋時代の1103年に刊行された『営造法式』に記載されている[8]。また、朝鮮建築(英語版)においては同様の部材を華盤(: ??)と呼ぶ[2][9]

蟇股様の建築部材は東アジア建築に一般に存在するものであり、先述の通り、蟇股の起源も中国にたどることができるものである。しかし、日本において蟇股は特に平安時代以降、独特な変化発展を遂げた。近藤豊はこのことについて、「もし日本建築の細部で出藍の誉れありとすれば、まず蟇股を挙げうるのではなかろうかと思う」と論じている[2]
種類と歴史

蟇股は、大きく厚い板状の板蟇股(いたかえるまた)と、中を透かした本蟇股(ほんかえるまた)に分類することができる[5]
板蟇股長谷寺登廊板蟇股

板蟇股は奈良時代後期に出現する部材であり[6]、奈良期の蟇股はすべてこれに属する[2]。往々にして虹梁の上につくられ、上の虹梁・・棟木などを支える構造的役割を果たした。また、東大寺南大門にみられるよう、遊離尾垂木受けに用いられることもあった。板蟇股は一般に中備として用いられることはなかったが、中世においては福井県明通寺本堂など、まれにそのような例をみることができる[10]

古い時代の蟇股は構造材としての性質が強く[2]、奈良期の蟇股は高さと厚さがほぼ等しい、あるいは厚さのほうが勝ることすらもあった[6][7]唐招提寺講堂のような例外もあるものの一般に巻き込み(目玉)は大きく、同寺金堂のように彩色をおこなったものもある[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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